島田雅彦『天国が降ってくる』

「下手に生きようと思わねえ奴は最後の大勝負に乗らねえか?金の代わりに命を賭ける」
皆、互いの顔を見合わせて、仮面の笑い。反対する者は一人もいなかった。もし反対すれば、自分は博打打ちではないということになるからだ。
「グラスをありったけ用意してな、そこに酒を注ぐ。で、そいつを一つずつとってはカーット一気に飲み干す。どれか一つには青酸カリが入っている。それを飲んだ奴が負けだ」
なんとも合理的な方法を考えついたものだ。酒宴と命がけを同時にやってしまうのだから。

美男はゆきにからかわれているとはゆめゆめ思わなかった。真摯な思いに勝るからかいは古典の名作を探しても見当たらなかったからだ。ただし、真摯さはからかいより滑稽であることは知らなかった。

「子供に殺されるような親は何処か立派なのよ。殺しがいのない親というのもいますからね」そういうと、滅多に笑ったことのないしまは口を上に向けて笑った。まわりにいた人は誰もが、自分には笑う資格があるのか考えるのに精一杯で、笑いは凍りついたままだった。

嫉妬すればするほど、自分が醜く、卑屈になってしまうことをマーマは知っていた。そうだ……彼女が唯一、妙子に勝っていたのは感情の起伏の激しさではないか。マーマは妙子より狂人になりやすかったはずだ。

彼はこのアーダの肉体の一部を略奪することによって、アーダへの淡い思慕と失恋という幻の物語に酔うことができたのだ。結末だけつくれば、どんなものでも物語になる。あとは回想という幻想的な形式に全てを任せればよい。

車の数と夜の明るさと信号のわずらわしさから、トキオの無駄の多さを感じた。

悩みごとを人に打ち明けるとスッキリするというじゃないか。スッキリするというのは忘却するということだ。悩みごとを記憶していれば、いつか何かの役には立つだろう。

妙子さん、僕はあなたなしには気が狂いそうです。あなたと一緒だとなおさら気が狂いそうです。

「僕は今この瞬間だけ僕なんだよ。次の瞬間になったらさっきとは別人の僕になるのさ。当り前だよ。細胞は次々死んで、新しいのができているんだから。予言めいたことをいうが、僕は近いうち死ぬ。大脳が腐っていくのがわかるんだよ。でも痛くはない。大脳は体のほかの部分が痛い時、そこが痛いと感じるが、大脳そのものには痛みがないんだ。痛みを感じる神経が走ってないからさ。ねえ、大脳って便利だね。いくら変なこと考えたって痛くないんだから」

天国が降ってくる (講談社文芸文庫)

天国が降ってくる (講談社文芸文庫)