三島由紀夫『暁の寺』

しかし一方、四十七歳の本多の心は、ほんの些細な感動をも警戒して、そこにすぐさま欺瞞や誇張を嗅ぎつける習性にしらずしらず染っていた。あれが自分の最後の情熱だった、と本多は思い返した。すなわち清顕の生れ変りと知った勲を救うために、職を抛ったときのあの情熱。……そして彼は「他人の救済」という観念の、あますところのない失敗を体験したのである。

しかし本多の耳には、それはすでに日本で慣れて来た変化だった。酒がすこしずつ酢に、牛乳がすこしずつヨーグルトに変ってゆくように、或る放置されすぎたものが飽和に達して、自然の諸力によって変質してゆく。人々は永いこと自由と肉欲の過剰を怖れて暮していた。はじめて酒を抜いた翌朝のさわやかさ。自分にはもう水だけしか要らないと感じることの誇らしさ。……そういう新らしい快楽が人々を犯しはじめていた。そういうものが人々をどこへ連れて行くかは、本多にはおよそのところがつかめていた。それはあの勲の死によって生れた確信であった。純粋なものはしばしば邪悪なものを誘発するのだ。

彼の人生は、誰もそうであるように、死のほうへ一歩一歩歩んで来たのだが、それはともかく、彼は歩くことしか知らない人間だった。駆けたことがなかった。人を助け救おうとしたことはあるが、人に助けられる危急に臨んだことはなかった。救われるという資質の欠如。人が思わず手をさしのべて、自分も大切にしている或る輝かしい価値の救済を企てずにはいられぬような、そういう危機を感じさせたことがなかった。(それこそは魅惑というものではないか。)遺憾ながら、彼は魅惑に欠けた自立的な人間だったのである。

まだ給仕の手の裡でごっちゃになっている銀鍍金のナイフやフォークのように、本多の中で感情も理性もごちゃまぜになり、何一つ計画(理性の邪悪な傾向!)もせず、意志は放棄されているのだ。本多が人生のおわり近くなって発見した快楽こそ、こんなふしだらな、人間意志の放棄であり、放棄しているあいだは、若いころからあれほど頭を悩ました「歴史に関わろうとする意志」も亦空中に浮き、歴史はどこかで宙ぶらりんになっていたのである。

歩きながら、もし自分が若ければ、声をあげて泣きながら歩いたろうと本多は思った。もし若ければ!しかし青年時代の本多は決して泣きはしなかった。涙を流す暇に理智を動かしたほうが、自他のためになると考えた有為な青年だった。何という甘い悲しみ、何という抒情的な絶望。そう感じつつ、そう感じることを、「もし若ければ」という仮定的過去によってしか許さない本多は、目前の感情の信憑性を根こそぎにしてしまっていた。もし自分の年齢にも甘さが許されていたら!しかし今も昔も、自分に甘さを許さなかったのは本多の持ち前で、わずかに可能なのは、過去にちがう自分を夢みることだった。どんな風にちがう自分を?本多が清顕や勲になるのは、はじめから不可能に決っていた。