武田泰淳『ひかりごけ』

『海肌の匂い』

「才能に応じて各人から。欲望に応じて各人へ。こりゃ、君、理想的なんですよ。そういう社会をつくり出したいために僕ら、努力してるんだからね。各家から平等に労働力を供給する。そして賃銀は平等に分配する。網元も資本主もいない。ダイボの網も漁船も、水道もすべては働く漁民のものなんだからね。戦時中の政府のように、模範村模範村とおだてあげて、戦争にかりたてるのは悪辣だけどね。冷静に科学的に考えても、S部落は、沈黙のうちに、僕らの理想の一部を実現してると思うな」

「それからあともいろんなことをしでかしたさ、どれが良いことか、どれが悪いことか、自分で考えたって、他人が考えたってわかりゃしねえさ、どうしたって人間やる時はやるだからな。またやってみないうちは全く何もわからねえだからな。気まぐれとか魔がさすとか言うが、なあにみんな正々堂々の運命なのよ。なにも後悔するこたぁねえかわりに、何も自慢するこたぁねえ。魚を見たってわかるさ。魚はお前さん、どんな具合になったって自慢は言わねえし、グチ一つこぼしやしねえ」

ひかりごけ

それでも知床半島は、この根室海峡側の方が、オホーツク海側より、かなりのびやかな地形だと言います。特に、はまなしの美しい花と実が、同時に眺められるこの季節は、この地方ではすぐに過ぎ去る、おだやかな明るい季節、むしろ特殊な季節だった。このことは厳冬の季節に起った一事件、ある異常な事件を語るまえに、心得ていなくてはなりません。都会人は、地形や気候が、どれほど事件なるものの内容を決定するものか、忘れがちなものでありますから。

彼は、熊の足跡と熊の糞をたどって(つまり熊の智慧を借りて)、一番近い合理的な路を見つけて、頂上をきわめたのでした。

八蔵 悪いことして、理くつくっつける人間は、用心しなきゃなんねえぞ。理くつさこいてやってくる奴ぁ、用心しなきゃなんねえ。