マルクス・アウレーリウス『自省録』

思い起こせ、君はどれほど前からこれらのことを延期しているか、またいくたび神々から機会を与えて頂いておきながらこれを利用しなかったか。しかし今こそ自覚しなくてはならない、君がいかなる宇宙の一部分であるか、その宇宙のいかなる支配者の放射物であるかということを。そして君には一定の時の制限が加えられており、その時を用いて心に光明をとり入れないなら、時は過ぎ去り、君も過ぎ去り、機会は二度と再び君のものとならないであろうことを。

意見を作る能力を畏敬せよ。自然に対して、また理性的存在としての構成素質に対してふさわしくない意見が(我々の)指導理性の中に生ぜぬようにする役目は、ひとえにこの能力の上にかかっているのだ。またこの能力こそ(我々が)軽率になるのを防ぎ、人間に対する親しみと神々に対する服従とを約束するのである。

君の肉体がこの人生にへこたれないのに、魂のほうが先にへこたれるとは恥ずかしいことだ。

「この胡瓜はにがい」棄てるがいい。「道に茨がある」避けるがいい。それで充分だ。「なぜこんなものが世の中にあるんだろう」などと加えるな。そんなことをいったら君は自然を究めている人間に笑われるぞ。

すべて君が苦手だと思うものにも慣れよ。なぜならば左手は習慣の無いために他のあらゆる仕事には不器用なのに、手綱は右の手よりもしっかりと持つ。それはこれに慣れているからだ。