中島義道『悪について』

人間は、いかに理性的であり「道徳的に善い行為」とはどういうものか完全に知っているとしても、ただちにそれを実行するとはかぎらない。道徳的に善い行為とは何かを知っていることと、それを実行することとは異なる。両者のあいだには深淵が横たわっている。

とりわけ、学者や芸術家やスポーツ選手など、みずからの才能を開花することを職業としている者は自己愛にまみれている。ほかの誰かではなく、この私がピアノを弾くこと、この私が油絵を描くこと、この私がオリンピックのマラソンに出場することを欲し、これらの行為には個人的喜びを超えた価値があると信じており、だから、彼らはそうした行為や行為の結果としての作品に対しての報酬(金のみならず称賛や尊敬)が払われるのは当然だと思っている。このすべてには、「何ほどか」ではなく、「膨大な」自己愛が張りついている。みずからの才能を開花することを職業にしてしまった者は、自己愛の燃えさかる炎から逃れることはできない。いや、それをますます燃え立たせて、生きつづけていくしかないのである。