泉鏡花『義血侠血』

良心は疾呼して渠を責めぬ。悪意は踴躍して渠を励せり。渠は疾呼の譴責に遭ひては慚悔し、また踴躍の教唆を受けては然諾せり。良心と悪意とは白糸の恃むべからざるを知りて、竟に迭に闘ひたりき。
「道ならない事だ。那麼様真似をした日には、二度と再び世の中に顔向が出来ない。ああ、恐ろしい事だ、……けれども才覚が出来なければ、死ぬより外はない。この世に生きていない意なら、羞恥も顔向もありはしない。大外れた事だけれども、金は盗ろう。盗ッてさうして死なう死なう!」

恩人の顔は蒼白めたり。その頬は削けたり。その髪は乱れたり。乱れたる髪!その夕の乱れたる髪は活溌々の鉄拐を表せしに、今はその憔悴を増すのみなりけり。
渠は想へり。闊達豪放の女丈夫!渠は垂死の病蓐に横たわらむとも、決して如許衰容を為さざるべきなり。烈々たる渠が心中の活火は既に燼えたる歟。何ぞ渠の甚だしく冷灰に似たるや。