ヘルマン・ヘッセ『ガラス玉演戯』

召命を受けるものは、それとともに、贈り物や命令ばかりでなく、罪のようなものを背負い込む。ちょうど、戦友の列の中から引き抜かれて、将校に昇進させれる兵士は、戦友に対し罪の感情というより、良心のやましさをもってそれを償うことが多ければ多いほど、その昇進を受ける資格があるようなおのである。

「だが、あの脱落者たちは、やはりぼくにとって何か敬服させるような点を持っているよ。例えば、神にそむいた天使ルチフェルが何か偉大なところを持っているように。彼らはたぶんまちがったことをしたのだろう。いや、全く疑いもなく、まちがったことをした。だが、いずれにしても、彼らは何かをした。何かをやりとげた。思いきって飛躍をした。それには勇気が必要だ。ぼくたち他のものは、勤勉と忍耐と理性とを持ちつづけたが、何もしなかった。ぼくたちは飛躍はしなかった!」

「真理はあるよ、君。だが、君の求める『教え』、完全にそれだけで賢くなれるような絶対な教え、そんなものはない。君も完全な教えにあこがれてはならない。友よ、それより、君自身の完成にあこがれなさい。神というものは君の中にあるのであって、講義されるものではない。戦いの覚悟をしなさい、ヨーゼフ・クネヒトよ、君の戦いがもう始まっているのが、よくわかる」

もうしばらく自由な研究の生活をさせてほしいという願いを口に出したあとで、トーマス名人から聞かされた嘲笑的な警告のことばを、あるとき彼はふと思い出した。「しばらくだって――いつまでのことかね?君はまだ学生のことばを話しているね。ヨーゼフ」