サルトル『嘔吐』

彼女はけちけちと苦しんでいる。きっと、快楽に対してもけちけちしているのだろう。この単調な苦悩、鼻歌をやめるとすぐさま彼女にとりつくこの愚痴、いったい彼女はときとして、それから解放されたいと思わなかったのだろうか、思いきり苦しみ、絶望に溺れきろうとは願わなかったのだろうか。だがいずれにしても、それは不可能だろう。彼女はがんじがらめになっているのだ。

自分を振り返るためには完璧な一日だ。太陽が容赦のない裁きのように被造物の上に投げかけるこの寒々とした明るさ――それが目を通して私のなかに入りこんでくる。私は滅入るような光で、内部を照らし出されている。十五分もすれば確実に、この上もない自己嫌悪に到達するだろう。まっぴらだ、そんなことはご免こうむる。昨日書いたロルボンのサンクト=ペテルブルク滞在にかんする文章も、あらためて読み直すことはないだろう。腰掛けたままで、私は腕をだらんと垂らしている。あるいは気乗りもせずに、いくつかの言葉を書きつける。欠伸をする。そして夜になるのを待つ。暗くなったら物も私も、このあやふやな状態から抜け出せるだろう。

今はお八つの時間だ。彼は無邪気な態度で、パンとガラ・ピーターの板チョコを食べる。彼の瞼が下を向いてさがっているので、私はカールしたような彼の美しい睫毛をゆっくり眺めることができる――それは女の睫毛だ。彼は古いタバコの匂いを発散させているが、ふっと息を吐き出すときは、それに甘いチョコレートの香りが混じる。

何かが始まるのは終わるためだ。冒険は引き延ばされるものではない。冒険は自らの死によってのみ意味を持つ。それはおそらく私の死でもあるのだろうが、その死に向かって、私は戻ることもできずに引きずられて行く。各々の瞬間は、それに続く瞬間を導くためにのみあらわれる。その各々の瞬間に、私は心から執着する。私はそれがユニークなものであり、取り替えのきかないものであることを知っているーーにもかかわらず、私はその消滅を妨げるような行為はいっさいしないだろう。私が前々日に出会ったこの女の腕のなかで――ベルリンで、またロンドンで――過ごす最後の短い時間――私はその時間を熱烈に愛し、その女をほとんど愛しかけているのだが――それも今や終わるだろう。そのことを私は知っている。もうすぐ私は別の国に出発するだろう。この女に再会することはないだろうし、この夜をふたたび見出すことも絶対にあり得ないだろう。私は一刻一刻の上に屈みこんで、それを汲み尽くそうとする。何物も、私がそれを捉えて永遠に私の内部に定着することなしには、過ぎ去るべきでない。何物もだ、この美しい目の束の間の優しさも、通りの物音も、明け方の微かな光も。にもかかわらず時は流れ、私はそれを引き留めない。私は時が過ぎて行くのを愛しているのだ。

ごく平凡な出来事が冒険になるためには、それを物語り始めることが必要であり、またそれだけで充分である。人びとはこのことに騙されている。というのも、ひとりの人間は常に話を語る人で、自分の話や他人の話に取りまかれて生きており、自分に起こるすべてのことをそうした話を通して見ているからだ。そのために彼は自分の生を、まるで物語るように生きようとrのである。

ロルボン氏は私の協力者だった。彼は在るために私を必要としたし、私は自分が在ることを感じないために彼を必要としていた。私は原料を提供していた。私がありあまるほど持っている原料、自分では使い道の分からない原料、つまり存在、私の存在を提供していたのだ。

私ははっと立ち上がる。もし考えることさえやめられれば、それだけでもましなのだが。思考というのは、何よりも味気ないものだ、肉体よりもさらに味気ない。それはどこまでも続いて一向に終わることがなく、妙な味を残していく。おまけに思考の内部には言葉がある。言いかけた言葉、絶えずまたあらわれる不完全な文が。「私は終えなければ……。私は存……。死んだ……。ロルボン氏は死んだ……。私は逆に……。私は存……」もういい、もういい……こんなふうに、絶対に終わることがない。これが他のもの以上に始末におえないのは、自分に責任があり、自分が共犯者だと感じるからだ。たとえば、私は存在する、といったつらい考察だが、それを続けているのは私である。この私だ。肉体ならば、いったん始まればあとはひとりで生きていく。しかし思考はこの私がそれを継続し、展開するのだ。私は存在する。私は存在すると考える。ああ!長くくねくねと続くこの存在するという感覚ーーそれを私は展開している、ごくゆっくりと……。

鼻孔には、緑の腐ったような匂いが溢れた。すべての物が、静かに、優しく、存在に身を委ねている。ちょうど、とめどもない笑いに身を委ねて、べたべたした声で、「笑うって気持がいいものね」と言う、あの疲れた女たちのように。l

私たちは、自分自身を持てあましている多数の当惑した存在者だった。私たちの誰にも、そこにいる理由などこれっぱかりもなかった。存在者の一人ひとりが恐縮して、漠とした不安を抱えながら、他のものに対して自分を余計なものと感じていた。