ジョルジュ・バタイユ『マダム・エドワルダ』『目玉の話』

『マダム・エドワルダ』

(続ける?そうしようと思ったがもうどうでもいい。興味がなくなったのだ。ものを書くとき私の胸を締め付ける思いについてはすでに語った。すべてがばかげているのではないか?それとも意味があるのだろうか?そう考えると気分が悪くなる。私は、朝ーー何百万人もの)――女と男、赤ん坊や老人とおなじくー−目覚め――眠りは二度と戻らない……。私自身とこの何百万人もの人間、私たちの目覚めに意味があるのか?隠された意味が?むろん隠された意味だ!しかし、なにごとにも意味がないというのなら、私がすることはむだだ。ごまかしごまかし後退するほかない。あきらめて無意味に実を売るほかない。私にとって、それは希望の名残りではなく、私を責め殺す死刑執行人なのだ。だが、その無意味に意味があったら?今日は分からない意味が。明日はどうだ?私にはなにが分かっているのか?私は「私の」責め苦とならない意味など考えることができない。そのことだけはよく分かっている。そして、いまのところは、無意味だ!「無意味」氏がものを書く。この男は自分が狂人であることを承知している。恐ろしいことだ。だが、この男の狂気、この無意味はー―突然「確かな」ものとなってー―それこそが「意味」になるのだろうか?[いや、ヘーゲルはひとりの狂女の「神格化」とはなんの関係もない……]
私の生命は、私が生命を欠くときにしか、私が狂うときにしか意味をもたない。分かる者だけが分かれば……。かくして、存在がそこにあらわれる。理由もわからず、寒さにふるえたまま……。広大なもの、夜の闇が存在を包む。存在がそこにあるのは、ただ……「分からない」ため。だが、神は?これをどう説明するのか、雄弁家諸子よ、信心家諸子よ?ーーすくんくとも、神は分かっているのか?「分かっている」というのなら、神は豚だ。主よ[悲しみのなかで、私はわが「いとしい女」にうったえる]私を解放してほしい、彼らを盲目にしてほしい!こんな話をもっと続けるのか?)

これで終わりだ。
わずかなあいだ私たちをタクシーの奥に置きざりにした眠りから、私が最初に、ふらふらになって目覚めた……。残ったのは皮肉な気分、そう、死への長い待機……

『目玉の話』

突然、私の勃起を解消するただひとつの方法は死ぬことだ、という考えが頭に浮かびました。シモーヌと私が死ねば、私が心に思いうかべる情景に代わって、澄みきった星々が大空に広がり、おそらくこの放蕩の果てにやって来るものをあっさりと実現するのです。それは幾何学的な白熱(まさに生と死の、存在と無の一致)であり、一瞬、完全無欠の輝きを放つことでしょう。