夏目漱石『幻影の盾』『薤露行』『倫敦塔』

『幻影の盾』

騎士の恋には四期があるということをクララに教えたのはその時だとウィリアムは当時の光景を一度に目の前に浮べる。「第一を躊躇の時期と名づける、これは女の方でこの恋を斥けようか、受けようかと思い煩うあいだの名である」といいながらクララの方を見た時に、クララは俯向いて、頬のあたりにかすかなる笑を漏した。「この時期のあいだには男のほうでは一言も恋をものめかすことを許されぬ。ただ目にあまる情けと、息に漏るる嘆きとにより、昼は女の傍えを、夜は女の住居の辺りを去らぬ誠によりて、わが意中を悟れかしと物言わぬうちに示す」。クララはこの時池の向うに据えてある大理石の像を余念なく見ていた。「第二を祈念の時期という。男、女の前に伏してねんごろにわが恋叶えたまえと願う」。クララは顔を背けて紅の薔薇の花を唇につけて吹く。一弁は飛んで波なき池の汀に浮ぶ。一弁は梅鉢の形に組んで池を囲える石の欄干に中りて敷石の上に落ちた。「次に来るは応諾の時期である。誠ありと見抜く男の心をなおも確かめんため女、男に草々の課役をかける。剣の力、槍の力で遂ぐべきほどの事柄であるはいうまでもない」クララは吾を透す大いなる目を翻して第四はと問う。「だ四の時期をDruerieと呼ぶ。武夫が君の前に額付いて渝らじと誓うごとく男、女の膝下に跪ずき手を合わせて女の手のあいだに置く。女かたのごとく愛の式を返して男に接吻する」。

『薤露行』

恋の糸と誠の糸を横縦に梭くぐらせば、手を肩に組み合わせて天を仰げるマリアの姿となる。狂ひを経に怒りを緯に、霰ふる木枯の夜を織り明せば、荒野の中に白き髯飛ぶリアの面影が出る。恥づかしき紅と恨めしき鉄色をより合わせては、逢ふて絶えたる人の心を読むべく、温和しき黄と思ひ上がれる紫を交る交るに畳めば、魔に誘われし乙女の、我は顔に高ぶれる態を写す。長き袂に雲のごとくにまつはるは人に言へぬ願の糸の乱れなるべし。

老人の頬に畳める皺のうちには、嬉しき波がしばらく動く。

死ぬことの恐しきにあらず、死にたる後にランスロットに逢ひがたきを恐るる。されどこの世にての逢ひがたきに比ぶれば、未来に逢うのかえって易きかとも思う。罌粟散るを憂しとのみ眺むべからず、散ればこそまた咲く夏もあり。エレーンは食を断った。

エレーンの屍はすべての屍のうちにてもっとも美しい。涼しき顔を、雲と乱るる黄金の髪に埋めて、笑えるごとく横たわる。肉に付着するあらゆる肉の不浄を拭い去って、霊その物の面影を口鼻の間に示せるは朗らかにもまたきわめて清い。苦しみも、憂いも、恨みも、憤りも――世には忌わしきものの痕なければ土に帰る人とは見えず。

『倫敦塔』

二年の留学中ただ一度倫敦塔を見物したことがある。その後再び行こうと思った日もあるが止めにした。人から誘われたこともあるが断った。一度で得た記憶を二返目に打壊すのは惜しい、三たび目に拭い去るのはもっとも残念だ。「塔」の見物は一度にかぎると思う。

およそ世の中になにが苦しいといって所在のないほどの苦しみはない。意識の内容に変化のないほどの苦しみはない。使える身体は目に見えぬ縄で縛られて動きのとれぬほどの苦しみはない。生きるというは活動しているということであるに、生きながらこの活動を抑えらるるのは生という意味を奪われたると同じ事で、その奪われたを自覚するだけが死よりもなおいっそうの苦痛である。

生れてきた以上は、生きねばならぬ。あえて死を怖るるとはいわず、ただ生きねばならぬ。生きねばならぬとは耶蘇孔子以前の道で、また耶蘇孔子以後の道である。なんの理屈も入らぬ、ただ生きたいから生きねばならぬのである。すべての人は生きねばならぬ。