夏目漱石『坊っちゃん』

これでも元は旗本だ。旗本の下は清和源氏で、多田の満仲の後裔だ。こんな土百姓とは生れからして違うんだ。ただ知恵のないところが惜しいだけだ。どうしていいか分らないのが困るだけだ。困ったって負けるものか。正直だから、どうしていいか分らないんだ。世の中に正直が勝たないで、ほかに勝つものがあるか、考えてみろ。今夜中に勝てなければ、あした勝つ。あした勝てなければ、あさって勝つ。あさって勝てなければ、下宿から弁当を取り寄せて勝つまでここにいる。おれはこう決心をしたから、廊下の真中へあぐらをかいて夜のあけるのを待っていた。

考えてみると世間の大部分の人はわるくなることを奨励しているように思う。わるくならなければ社会に成功はしないものと信じているらしい。たまに正直な純粋な人を見ると、坊っちゃんだの小僧だのと難癖をつけて軽蔑する。それじゃ小学校や中学校で嘘をつくな、正直にしろと倫理の先生が教えないほうがいい。いっそ思い切って学校で嘘をつく法とか、人を信じない術とか、人を乗せる策を教授するほうが、世のためにも当人のためにもなるだろう。

おれは清から三円借りている。その三円は五年経った今日までまだ返さない。返せないんじゃない、返さないんだ。清は今に返すだろうなどと、かりそめにもおれの懐中をあてにはしていない。おれも今に返そうなどと他人がましい義理立てはしないつもりだ。こっちがこんな心配をすればするほど清の心を疑るようなもので、清の美しい心にけちを付けると同じことになる。返さないのは清を踏みつけるのじゃない。清はおれの片破れと思うからだ。

議論のいい人が善人とはきまらない。遣り込められるほうが悪人とはかぎらない。表向は赤シャツのほうが重々尤もだが、表向がいくら立派だって、腹の中まで惚れさせるわけにはゆかない。金や威力や理屈で人間の心が買えるものなら、高利貸でも巡査でも大学教授でもいちばん人に好かれなくてはならない。中学の教頭ぐらいな論法でおれの心がどう動くものか。人間は好き嫌で働くものだ。論法で働くものじゃない。