石原慎太郎『太陽の季節』『狼生きろ豚は死ね』

太陽の季節

あの男を殴った時、自分が本当に何を感じていたかは彼にもわかりはしない。そんなつまらぬ詮索で、あの行為に後からどんな意味を持たせたところで何になろう。彼は唯そうしたかったから思い切り行って満足するのだ。何故と言う事に要はなかった。行為の後に反省があったとしても、成功したかしなかったかと言うことだけである。自分が満足したか否か、その他の感情は取るに足らない。それ故彼は、“悪いことをした”と自らを咎めることが無かった。彼には罪を冒すことが有り得ないのだ。が人々はその行為の外象により彼を判断する。彼はその内容によって自分をとらえる。

『狼生きろ豚は死ね』

清二郎 私は人間にはあまり関心がない。あの人たちがやっている政治という奴はもっとも嫌いだ。いや憎む。
松平 憎む、ほう何故かな。訳をしりたいな。
清二郎 私の人間への関心をなくさせたものはその政治という奴だからだ。
松平 政治の何があなたをそんなに傷つけたのだろう。
清二郎 逆におたずねするが、政治で傷つかぬ人間がいますか。
松平 なるほど。
清二郎 尤もあなたは傷つける側の人間か、いや、そうとしても同じことだ。政治などという代物は、嘘と裏切りの刃で囲まれた檻のようなものだ。

松平 私は私の家に生まれ、兄に替わって藩主となり、幕府につかえ、老中にまでなった。だが坂本さん、冗談ときいていただいてもいいが、私はもともと、本当は人間が嫌いだ。政治も嫌いだ。私には大袈裟な理想など本当はないのです。それなのに何故こんなことをするのか義務というものだろうか。しかし義務といえば、私は私自身に対する義務でそれをやるつもりでいる。が、その光悦はいい、実に美しい。私は自分が今、努力している事柄よりもふとこの一つの茶碗の方が信ずるに足る歴史の様な気がしてくる。私はそういう人間なんです。
坂本 この茶碗はこれを作った一人の人間と素直にぴったり重なり合って存在し、残っていくだろう。それは人間にとって間違いなく確かな、ある生き方の領域だ。それにくらべて、われわれが追いかけ作ろうとしているものはなんと粗野で、不確実なものだろうか。政治とはそういうものだ。だがとらえようのない政治という奴だけが、われわれにとって現実なのだ。しかしそれだからこそ私は、この茶碗を許して受け容れることが出来るのだ。そうではありませんか、松平さん。

後藤 政治というものは不確実なものだ。そして、その方法もな。それに当る人間は尚心もとない。迷いがあり、誤りがあり、並の人間の眼から見れば罪となり悪となる事もある。いや、なくてはならぬ。あなた自身、政治を行う人間として、並の良心だけで自分を律することが出来るでしょうか。いや、私は誰の弁解をしているのでもない。それがわれわれの前にある現実だ。私は勇気をもってその政治の内に自分の方法を探していくだろう。はは、ということです。

山九 (ゆっくりと笑う)はは、商人はなにごとにも商売をあてこみますからな。よろしゅうございます、お引き受け致しましょう。長州へはなんとか言い訳を考えましょう。
坂本 すまぬな、無理を言って。
山九 いえ。が、ともかく、坂本さんのお力で、戦さは商売が間に合うまでなんとか延ばして頂きとうございますな。
坂本 いや、延ばしきりにしたいものだ。
山九 それも困りますな。
中岡 山九、口を慎しめ。
山九 これはどうも、思わぬ本音で。では、私は一時も早くそのやりくりに。

松平 他人に傷つけられ、世をすねることはやさしい。傷つけられてもなお人間に繋がってゆこう、他人と関わってゆこうとすることがむずかしいのだ。わからぬか。
清二郎 (無言)
松平 足蹴の屈辱に怒り、その人間を斬るのはやさしい。その屈辱に耐え、その人間に繋がろうとすること、それがどんなにむずかしいことか、あなたにはわかるか。
清次郎 (刀をひく)
松平 政治のむずかしさ、人間のおぞましさなどあなたに言われなくともよく分っておる。努力することが、どんなに空しいかもよく分っておる。政治、政治、政治。そうだ、私は確かにこの愚にもつかぬ沼の中を歩き廻っている。その気になりさえすれば、こんなものはいつでも投げ出してやれる。こんな国などうなろうと構いはしない。しかし、だからこそ私はこれをやるのだ。
清二郎 (うつむき)何故です。
松平 意地だよ。私は私自身に対して卑怯に生きたくはないのだ。
清二郎 (無言)
松平 裏切られること、それを超えなくては他人と繋がることはできない。友情に、恋に、政治に、その中でいかに裏切られようとその裏切りこそが人間の絆なのだ。嘗てあなたの身の上に起ったことは今のあたなにとっては、一番大切で尊いものなのだ。それを超えること、それこそが本当の勇気ではないか。その勇気を持てぬあなたはただの愚かものだ。

松平 いつ、どこででも、戦さが不幸なものであるのは誰もが知っている筈なのに、時勢のはずみと言おうか、人の頭も頼りにならぬことがある。いや時勢のはずみなどなくても、心の内に巣食うなにかがあれば、それが道理を外した企みをしないでもない。おだやかな話し合いも、冷静な先の見通しも、なにもかもがそのために崩れ、国を損い、己の人としての行き方も見喪ってしまうものだ。なぜみんなはもつれた話合いの最後にすぐ戦さを考え出すのだろう。てっとり早い方法とは言うが、その後に拾い収めなくてはならぬものを思えば、戦さは常に最も愚かな道楽にすぎぬ。