エドモン・ロスタン『シラノ・ド・ベルジュラック』

キュイジイ ねえおい、彼奴はなかなかやるだろう?
ル・ブレ (親しみをこめて)やるとも!蓋し天下の俊傑だね!
ラグノオ 詩人で!
キュイジイ 剣客で!
ブリッサイユ 理学者で!
ル・ブレ 音楽家だ!
リニエール それにあの顔ときたら、また飛び切りだね!
ラグノオ まったくですよ。偉大なフィリップ・ド・シャンペエニュ大人だって、決してあの顔が描けようとは思えない。面妖で破天荒で言語道断で抱腹絶倒ですよ。つらつら惟んみるに、故人ジャック・カッロが、その似顔絵の中に獰猛な剣客の尤物を入れるとしたら、もってこいという代物ですな。帽子に三本の羽根飾、胸着にあばらの骨三本、鶏の自慢の尾羽根のように、後ろにゃ華奢に剣先の、ぴんとつき出るマントを引っかけ、昔も今も変わらずに、ジゴーニュもどきにガスコンが、しこたま生んだアルタバンを、束にしたよりなおなおきつい伊達気質、ピュルシネッラ型の頸飾りから、鼻つき出して闊歩なさるじゃ!……ああ!殿方、その鼻こそは、変化の鼻!……こんな鼻を持った男を見ちゃあ、『ああ!こりゃならぬ、あんまり薬が利き過ぎるわ!』と言わずにあ、素通りが出来ますまい。それからにっこり笑って、言いまさあ、『取りはずさざあなるめえて……』ですがね、ベルジュラック様は、金輪際お取りはずしはなさりませぬわ。
ル・ブレ (頭を振りながら)奴は剣のように鼻を佩しているんだ。――だから誰でもそいつを見物する奴は一刀両断だ!

シラノ ええ!駄目だい!短すぎらい、青二才!この俺なら言えるぞ……いや!あるわあるわ!……しこたまあるぞ……それも精々調子を変えてよ――論より証拠だ、さあ聞け。
喧嘩腰なら『あいや貴殿、左様な鼻が某のものなら、抜く手も見せず斬って捨てるわ!』
親しい仲なら『のう御同役、小杯ではお鼻が濡れまする!一層飲むなら腰高の大盃がよかろうて!』
叙事で行くなら『そは岩なり!……そは山なり!……そは岬なり!然れども果たして岬なりや?……あらず、そは大半島なり!』
物好き調なら『はてさて、だら延びのした容器じゃ、全体、何にするのじゃな?鋏入れかな、それとも矢立かな?』
都雅で行けば『君がやさしの親心、手塩にかけた小鳥故、可愛い脚のとまり木に、その鼻先延べられい!』
ぶしつけな奴は『ぱくりぱくりとおぬしが煙草、鼻が煙か煙が鼻か、向こう三軒両隣、火事だ火事だと大騒ぎ!』
戒めの為なら『鼻の重みで頭が下がる、転ばぬ先に御用心!』
やさしく言って『日傘させ、小日傘かざせ傘かざせ、鼻の色香の日にうつろわぬ間に!』
物知り顔なら『唯一無二の動物、アリストファネスの所謂海馬と象と駱駝の混血獣のみ、額下のかかる骨上に、かかる肉塊をもてるなり!』
ざっくばらんで『当世流行の鉤形か?さても便利な帽子掛け!』
大袈裟に言やあ『やよ鼻よ、尊大の鼻、憎き鼻、疾風ならでは風邪ひかぬ鼻!』
芝居がかりは『鼻血も鼻血、実に紅海も只ならず!』
褒めて言うなら『天晴れ天晴れ麝香屋の看板大当り!』
叙情で行くなら『これは是れ海若の吹き鳴らす法螺の貝、さては御身トリトンにておわすや?』
無邪気に言えば『さて評判の記念塔、何時見物に出かけましょう?』
恭しく申さば『謹んで御挨拶申上候、その御鼻こそは正に借家に候わず、全く自ら一家を構うるものに御座候』
田舎っぺいなら『へえっ!こりゃ鼻けえ?そんでは有んめえ!ちっけえ南瓜だ、でっけえ蕪だあ!』
号令で行きあ『前面にあらわれたる騎兵、鼻打のかまえ!』
世間向きなら『その鼻を富籤にお出しなされ。定めし大きな当り籤でござろうがなあ!』
さて、結びのしるしにもう一つ、涙に咽ぶピラアムの台詞をもじってお目にかけようかい。
『こんな鼻奴がのさばればこそ、主君のお顔も汚されるのじゃ!あれあれ赤くなり居る、慮外者奴が!』

シラノ 俺の都雅は胸の中だ。半可な貴族たあわけが違うぞ、下らぬおしゃらくはそっち除けで、心の手入れをしているのだ。雪がぬ恥辱、ねぼけ眼のぐうたら良心、汚れ腐った名誉心、生き血の通わぬ腰抜け魂なんざあ、忘れても持っちゃ出ぬわい。不羈独立と誠実とを羽根飾にして靡かせながら、一歩を踏み出しや後光がさすわい。胸当を付けて反り返るなあ、しゃらく臭え体とはわけが違うぞ、この魂だあ。身のまわりを華やかに飾るなあ、リボンじゃあない、偉功だあ。矢たけ心を髭と一緒に天に向け、集団、円陣踏み越え乗り越え、拍車のように「誠」を響かすのだ。

ロクサアヌ (露台の前方に進んで)あなたですの?私達はあのお話をしておりましてね……あの……あの……
シラノ ええ接吻の。その言葉は嬉しい言葉です。私はその言葉が潔くあなたの唇から漏れぬのを不思議に思うのです。若しその熱い言葉があなたの唇に乗ったなら、一体どうなるのでしょう?何もそう喫驚なさる事は無い。現にあなたは今しがた、不知不識に遊戯の恋をさらりと捨てて、微笑から歎息に、歎息から涙に、何時の間にか移って行かれたのではありませんか!何の苦も無く更に一歩を移して頂きたいのです。涙から接吻までには微かな身震いがあるばかりではありませんか!
ロクサアヌ もう何も仰らないで!
シラノ 接吻とは、そもそも何でしょう?顔と顔とを打ち寄せて解けじと結ぶ誓です。忘れぬ為の約束です。はたまた固めを願う標です。恋という字の上に打つささやかな紅の一点です。それは耳の変わりに口でする秘密でもあれば、又、蜜蜂の羽音にもまがう無限の束の間でもあるのです。抑もまた華と香う聖餐の杯、さてはうれしい心を吸う手段、そっと寄り添う唇から、魂までもひたぶるに味わう恋の手段とも言えるでしょう!

クリスチャン この小さな斑点は?……
シラノ (急いで手紙を取り返して何気なく眺めて)斑点だって?……
クリスチャン こりゃ涙だぜ!
シラノ そうだ……詩人は自分の技能に絆される。そこが佳いところなんだ!……わかったろう……この手紙はね――全く身につまされるようだったのだ。俺は自分で書きながら泣かされたよ。
クリスチャン 泣いた?……
シラノ そうさ……そりゃ……死ぬのは怖くはない。然し……もう二度とあの女に逢えないのは……それがつらいのだ!何故って、俺はとうとうあの女を……
(クリスチャンは彼を見詰める)
俺達はあの女を……
(強く)
貴様はあの女を……

ド・ギッシュ 『国王の御用』で!あなたが?
ロクサアヌ 恋と申すたった一人の王様の御用でございますわ!

ロクサアヌ ねえ皆様、つらい戦争が王様へのお勤めなら、私の勤めだって負けはいたしませんわ!
シラノ いや早や、此処まで来るのは突飛ですよ!全体何処を切り抜けて来たんです?
ロクサアヌ 何処って?西班牙軍の中ですわ。
第一の青年隊 ああ!全く女ってものは魔物だなあ!
ド・ギッシュ で、西班牙軍の戦線をどう云う風に通り抜けて来たのです?
ル・ブレ そいつは非常に困難だったに違いないですなあ!……
ロクサアヌ そんなでもございませんでしたわ。馬車で、ほんの速歩で通っただけでございますわ。西班牙の武士が強そうな顔で睨んだ時には、私は馬車の窓からそれは愛嬌よく笑って見せましたの、するとねえ、仏蘭西の方々には失礼ですけれども、何しろ敵の武士達は名代の粋人でございましょう、――私、わけなく通ってしまいましたわ!
カルボン そうですなあ、正にその笑顔は旅行券と同じですなあ!が然し稀には奴等だって何処へ行くんだぐらいは訊問したでしょう、ねえ?
ロクサアヌ それは度々でございましたわ。その時には、私、答えてやりましたの、『恋しいお方に逢いに行く』って。――するとどんな恐い顔の西班牙人も直ぐに、王様だって羨ましく思うほど粋に、手で振を作って、恭しく馬車の扉を閉め、私の方を狙っていた鉄砲をあげると、優美さと威厳とをこめて、レエスの飾りのついた足をぴんとのばして、帽子の羽根飾りを風になびかせながら、お辞儀をして言いましたわ、『姫御前、お通り下されい!』
クリスチャン 然し、ロクサアヌ……
ロクサアヌ 私は申しました、私の恋しいお方とねえ、申しましたわ……御免遊ばせね!おわかりになるでしょう、若し『私の夫』と申したら、誰だって通してはくれませんもの!

シラノ あの死霊奴、見てやがるな……俺の鼻を見る気なら勝手に見ろ、鼻無し亡者め!
(彼は剣を振り上げる)
何んだと?……それも徒だと?……百も承知だあ!だがな、俺や勝利の望みがある時ばかり戦うのたあわけが違うぞ!違うぞ!違うわい!負けると知っても戦えばこそ勇ましさもひとしおだあ!――其処に群がる奴等は何者だ?――貴様達は千人いると?わかった!皆知ってるぞ、揃いも揃って俺の古馴染の敵共だな!虚偽の亡者だな!
(剣を翳して空を打つ)
これは、これは!――ハッ!ハッ!妥協、偏見、卑怯の亡者共だな!……
(斬りまくる)
何?和睦をしろ?真っ平だ、真っ平だあ!――やっ!其処にいるのは貴様だな、この痴愚の亡者奴!――最後に俺が斃れるのは承知の上だ、それが何だ、飽くまで戦うぞ!戦うぞ!戦うぞ!
(彼は車輪のように剣を振りまわして、喘ぎながら立ち止まる)
うん、貴様達は俺のものを皆奪る気だな、桂の冠も、薔薇の花も!さあ奪れ!だがな、お気の毒だが、貴様達にやどうしたって奪りきれぬ佳いものを、俺やあの世に持って行くのだ。それも今夜だ、俺の永遠の幸福で蒼空の道、広々と掃き清め、神のふところに入る途すがら、はばかりながら皺一つ汚点一つ付けずに持って行くのだ、
(彼は高く剣を翳して躍り上がる)
他でもない、そりゃあ……
(剣は彼の手から離れ、彼はよろめいて、ル・ブレとラグノオの腕に倒れる)
ロクサアヌ (シラノの上に身をかがめてその額に接吻しながら)それは?……
シラノ (再び目を開いて、ロクサアヌを認めて、かすかに笑いながら)私の羽根飾(こころいき)だ。