ゴーゴリ『肖像画』
「ヘン、借金したくも、貸手は有りません。そんなら描いたものを売りに行く、それが幾らになる?みんなで二十カペイカがせいぜいだ。勿論描いたのが徒労とは思はぬ。どれを描いても、それ相応に利益はあった。何かしら発明する所はあったけれども、一体こんな事をしていれば、それでどうなると云うんだ?画稿だの、試筆だの――いつまで行っても画稿と試筆ばかりだ、――際限がないのだ。それに何処の馬の骨だか分かりもせん者が描いたものを買う奴が何処にある?稽古に作った古物の写生だの、描きかけのプシヘーヤの恋だの、この室の遠景だの、ニキータ殿の肖像だの、そりゃ、己惚気なしの所で、人気絵師の描いた肖像より出来は好いと思うが、兎に角そんな肖像だのというものを誰が欲しいと思おう?ほんとに詰まらん!何の、己だって、華美にやろうと思えば、人に負けはしない、銭の有る奴等に負けはしない。それをいつ迄も書生のように、いろはばかり拈くって苦しんでいるとは馬鹿げた話だ」
「倅や、私はお前を待っていた。お前の生涯ももうこれで道が開いたというものだが、お前の行く道は清い道だから、踏み外さんようにしなければならん。お前は画才がある、才というものは神様の下すった貴いものだから、亡くなさんように、気を付けなさい。何を見ても、研究をして、総ての物を我筆に従えて、物の内に篭った想を看出すようにして、何よりも先ず創造の神秘を索ろうと心掛けるがいい。神様のお見出しに預かって、創造の神秘を明めて見なさい、幸福なものだ!そうなると、自然に賎しいものが無くなる。創作の才のある美術家は果敢ないものを作っても、大したものを作った時のように、矢張大きい所がある。そんな人が作るとなると賎しい物も賎しい所がなくなる。何故なれば其人を介して創造の妙旨が透いて見えて、賎しい物も其心に清められて、貴く現れて来るからだ。人間のためには神様の、天上界の、楽園の影の射すのは美術だから、そればかりでも、美術は他のものより貴い訳だ。悠々として天を楽しむことは浮世に交じって齷齪してるより遙に勝っている。創作は破壊より遙に貴い。天使を其曇らぬ心の清くて邪の無い所ばかりでも、悪魔が多力を恃んで、神を憚らず恣に振舞うよりも何程有難いと思う、高尚な美術の作物は此の世のあらゆるものよりも何程貴いか知れん。何も彼も美術に打込んで了って、熱情を傾けて美術を愛するようにしなさい――熱情と云っても、人欲の臭のあるのでは駄目だ。しんみりした天上から来た熱情でなければいかん。熱情がなければ人は此世を離れることが出来ぬ。人心を安める妙音を吐くことも出来ぬ。人の心を安めるため、和らげるために美術上の逸品は此世に出るのだ。だから、それが人の心に不平の種を蒔く慮はない。反っていつも朗らかな祈りの声となって神様の御側へ往こうとする勢をもっているものだ」