ディケンズ『大いなる遺産』

ミセス・ジョーは非常にきれい好きな主婦だったが、そのきれいさをよごれ目よりもっと気持ちの落ち着かない、もっとありがた迷惑なものにしてしまう、すばらしい腕まえをもっていた。きれい好きなんて、いわば信心とおんなじようなもので、大ぜいのうちには、自分たちの信心を、これとおんなじようなものにしてしまうものがよくある。

話してみたってわかってはもらえないだろうという心配が、わたしの胸にいつもかくされていたほど、ほかの子供たちの胸にもかくされているとしたら――たぶんかくされていることと思う、なぜって、自分は異様な怪物だったかもしれないと思う特別の理由がなにもないからである――それは多くの隠しだてを理解する鍵となるだろう。

わたしたちはわたしたちの涙をけっして恥じる必要はないということは、神もごぞんじだ。涙こそは、わたしたちの頑な心をおおっていて、人の眼をくらます、土埃りの上に降りそそぐ雨さからだ。泣いてしまうと、わたしの心はまえよりもすなおになった――悲しさはひとしお深まり、自分の忘恩がいっそう痛切に感じられ、そしてわたしはいっそうやさしくなった。

あのときミス・ハヴィシャムの屋敷で見たジョージアナもやってきた。彼女は従姉妹だった――そして消化不良にかかっている独身の婦人で、自分の頑固さを宗教とよび、かんしゃくを愛情だといっていた。

世界中のいっさいの欺瞞家も、自己欺瞞家にくらべたら、もののかずではない。わたしは、こんな口実で自分をあざむいたのである。じっさい妙なことだ。もしわたしがだれか他人の偽造した半クラウン銀貨を知らずにうけとったというなら、むりもないことである。だが、自分でつくった贋金を、それと知っていて、本物の金だと思うなんて!

「ピップ、わしのいうことをおきき!わしはあの娘を、愛されるように養女にしたんだよ。わしはあの娘を、愛されるように育てあげ、教育したんだよ。あの娘が愛してもらえるように、わしはあの娘をいまのようにしたんだよ。あれを愛しておやり!」
彼女は、なんどもなんどもこうくりかえしていった。彼女が本気でそういったことは、すこしも疑いない。だが、たとえこうなんどもくりかえされた言葉が愛でなく憎悪――絶望――復讐――恐るべき死――であったとしても、彼女の口から、これ以上呪いの響きを発することはできなかったろう。
「ほんとの愛とはどんなのものか、おまえにいってあげよう」と、彼女はおなじ早口の熱情的なささやき声でいった。「それは、盲目的な献身です。疑うことを知らない自己卑下です。絶対的な従順です。信頼と信仰です。おまえ自身にそむき、全世界にそむいて、おまえの全心、全霊を、おまえを打つ者にゆだねてしまうことです――ちょうど、わたしがそうしたように!」

これ以上なにを聞く必要があろうか?このみじめな男は、何年間にわたって、そのみじめな金や銀の鎖を、背負いきれぬほどわたしにあたえておいて、そのあとで、命を賭してわたしにあいにきたのだ。その生命は、いまわたしの掌中ににぎられているのだ!たとえわたしが彼を嫌悪するかわりに愛していたとしても、たとえわたしが強烈な反感をもって彼から尻ごみするかわりに、激しい思慕と愛情をもって彼にひきつけられていたとしても、これ以上悪くはなかったろう。いや、反対に、もっとよかったろう。もしそうだったら、彼を保護しようという気持ちが、自然に、やさしくわたしの心にわいたことだろうから。

もういちど助けてくれ、と叫ぼうかという考えがさまざまな思いに乱れる頭をさっとかすめた!この場所がどんなに寂しいところか、助けをえることがどんなに絶望的か、自分ほどよく知っている人間はなかったが。しかし、わたしを小気味よげにながめてすわっている彼を見ると、昂然たる嫌悪の情あが湧いてきて、わたしの口を緘してしまった。ことにわたしは、彼にむかって命乞いなんか断じてすまい、むしろ彼にたいする最後の無力な抵抗を試みながら死んでゆこう、と決心した。この恐ろしい窮地に立って、わたしの心は他のすべてのものにたいしてやわらぎ、心からへりくだって、神の許しを乞いはしたが、それからまだなつかしいひとびとに別れを告げてはいないのだ、こうなっては、もはや告げることはできない、自分のことを彼らに説明することもできなければ、自分のみじめなあやまちにたいし、彼らの憐憫を乞うこともできないのだと思うと、気がくじけたが、しかもなお、もし死にながらでも彼を殺すことができるとしたら、わたしは殺してしまったろう。

わたしは黙って彼の手を握りしめた。なぜなら、かつていちどは彼を見すてようとしたことを、忘れることができなかったからである。
「それに、いちばんうれしいことは」と彼はいった、「おまえはお日さんがわしを明るく照らしていたときよりも、黒い雲がわしをおおってしまってから、いっそうわしにやさしくしてくれたことだよ。それがいちばんうれしいことだよ」