ウラジミール・ナボコフ『ロリータ』

それから私たちは、俄然熱狂的に、不器用に、恥かしさを忘れて愛し、恋にもだえはじめた。それが同時にまた絶望的なものであったこともつけくわえておく必要があろう。なぜなら、二人がとりつかれたその狂気は、たがいに相手の心と肉体のすべての分子を九州し同化しあうことによってのみ緩和される種類のものであったが、しかし私たちは、貧民窟の子供たちとちがって、そんなふうに結ばれる機会をそうたやすく見つけることができなかった。

ここで私は、つぎのような意見を紹介したいと思う。それは、少女は九歳から十四歳までのあいだに、ある魅せられた旅行者の眼から見ると、実際より二倍も三倍も年をとって見え、人間的でない、ニンフのような(つまり悪魔的な)本性をあらわすことがあるという考え方である。私は、それらの特殊な少女たちを、「ニンフェット」(小さなニンフ)と呼ぶことにしよう。

おなじ範囲の年齢内にある少女のうちで、真のニンフェットの数は、そうでない少女たち、ただ一時的に清楚だとか、かわいらしいとか、あだっぽとか、美しいとか、魅力的だとかいわれる少女たちよりも、比較にならないほどすくないものである。大多数は平凡で、ただむくむく肥っていたり、不恰好だったり、つめたい肌をしていたり、おとなになってすばらしい美人になるかどうかわかりかねるような健康な胃袋とおさげにした髪の持主であり、根っから人間的な少女なのだ。(世人をあっといわせるような銀幕の大スターを夢みている、黒い靴下と白い帽子の、ぶざまな子豚どもを見よ)

私たちはたがいに早熟な愛によって相手を愛し、おとなの一生をもしばしば破滅におとしいれるほどの熱情を燃えたたせた。私は生き残り、たくましい青年になった。だが、毒は傷のなかに残り、傷口は開いたまま、いつまでたっても癒えなかった。そして、まもなく私は、二十五歳の男が十六歳の女に求愛することはゆるされても、十二歳の少女にそうすることはゆるされない文明社会のなかで成長していることを知った。

われわれはもっと厳粛で文明的でなければならない。ハンバート・ハンバートは善良な人間になろうとつとめた。懸命の努力をかさねた。彼が純真な傷つきやすい一般の少女たちに最大限の尊敬をはらった。たとえ反抗して騒がれる危険がなくても、どんな場合でも、少女の純潔はけがすまいと思っていた。しかし、その無邪気な群衆のなかに一人の悪魔的な少女を見つけたとき、彼の心はどんなに躍ったことであろう。くすんだ眼、明るい唇。「魅惑的な、しかも悪魔的な子供」もし皆さんが彼女に眼をひかれていることを表面にあらわそうものなら、それだけで十年間は監獄へ入らなければならないだろう。世間は、そんな仕組みになっているのだ。むろんハンバートはイヴと交接することは完全にできたが、しかし、彼の求めているのはリリスだった。思春期の肉体的変化の過程のなかで、最初にあらわれるのは乳房の初潮現象である(十年七ヶ月)。それからつぎに顕著なことは、色素をおびた恥毛が発生することである(十一年二ヶ月)。ここで私の小さなコップには酒がなみなみとそそがれる。

またあるときは、地下鉄のなかで赤毛の女学生がとつぜん私のまえで吊革にぶらさがり、そのときにはからずもあらわに見えた腋の下の朽葉色のものが、それから数週間、私の血を湧きたたせていたこともあった。

区役所で簡単に結婚式をすましてから、私は新しく借りたアパートに彼女をつれて行き、彼女に手をふれるまえに、孤児院の衣装棚から盗んで持っていた子供用の粗末な夜着を、彼女がおどろくのもかまわず、むりやり着せてしまった。そして、その初夜を、心ゆくばかりたのしみ、醜怪な部分がついに病的興奮を起したのは、もう明け方だった。しかし、やがて現実がさらけ出された。表白された巻き毛は根もとの黒い色素をあらわにし、剃られた脛のうぶ毛はとげに変わり、私が愛撫によってどんなになんかへ押しこもうとしてもだらしなくよだれの垂れる口は、彼女が秘蔵しているヒキガエルのような顔をした亡母の肖像画のその部分と、うんざりするような類似性をあらわしていた。ハンバート・ハンバートが抱いていたのは、色の白い宿なしの少女ではなく、むくむくふとった、脚の短い、やたらと胸のでかい、知恵のない、ラム酒漬けのカステラみたいな女だった。

階段の踊り場と「ロー」の部屋のあいだの、細長い、ただ一つしかない浴室をのぞくことをゆるされ、濡れた下着類がぶらさがっているのを見、あやしげな浴槽のなかに一本の毛が疑問符を描いているのをのぞき見したときには、非情に潔癖な男であるこの貸間志望者は、身ぶるいをかくす余裕すらなかった。

彼女は眼にゴミが入ったらしく、左眼を開けて、しきりにいじくっていた。チェックのドレス。私は彼女の茶色の髪のうっとりするような匂いが好きだが、ときどき洗うようにすべきだと思う。私たちはしばらく、空を背景にして私たちの姿とともにポプラのてっぺんを映しだしている鏡が反射する緑色のあたたかい光の浴槽のなかにひたっていた。やがて私は、あらっぽく彼女の両肩をつかみ、つぎに、やさしくこめかみへ手をやって、彼女の顔を自分のほうへ向けた。「ここに入っているのよ、ほら、ね」と彼女は言った。「スイスの田舎の百姓なら、舌のさきでとるだろうけどね」「なめてとるの?」「そうだよ。やってみようか?」「うん、やってちょうだい」私はふるえる舌のさきで、くるくるまわる、いくらか塩からい彼女の瞳の表面を、そっとこすった。「まあ、うれしい」彼女は、まばたきしながら言った。「とれたわ」「じゃ、こんどはそっちのほうをやってあげようか」「ばかね、こっちはなんとも――」彼女がそう言いかけたとき、すぼめた私の唇が、そっと近づくのに気がついて、「いいわ」と協力的に答えた。ハンバートは、やや上向きにかまえた、あたたかい彼女の顔に、おおいかぶさるようにして、こまかくまばたく彼女のまぶたに唇を押しつけた。彼女は声をあげて笑い、私の手をすり抜けて部屋を出て行った。私は、いまにも胸がはり裂けそうな気がした。こんなことは私の生涯で一度もなかった――フランスで少女の恋人を愛撫したときでさえ、こんなことはなかった――。

節操のかたい女には、何か想像をゆるさぬものがある。日常の因襲や作法、食事、本、彼女の愛する人たちなど、すべてのものたちにふくまれたいつわりにまったく気づかぬあのシャーロットなればこそ、私がローをそばにおこうとしていう言葉のいつわりのひびきを耳ざとく聞きわけるかもしれないのだ。日常生活では、じつにやぼくさい、無趣味な、いやらしい俗物でしかない音楽家が、演奏中の音楽のほんのわずかな音の狂いでも、その悪魔的に正確な感性で、ぴんと感じとるようなものである。

“私たち”の水浴場の短い白砂の帯には――私たちは、すでにかなり沖へ出ていた――平日の朝なので誰も姿も見えなかった。向こう岸には、さっきの二人が、いそがしく立ち働いているだけだった。暗赤色の自家用飛行機が、ものうげな音をひびかせて頭上をすぎ、やがて碧空のはてに姿を消した。水中に突っこんで殺すには、まさに絶好の機会である。しかも、水深も岸からの距離も、ちょうどいい。元警官と元水道工事夫は、それが事故と見える程度に近く、殺人とは見えない程度に遠い距離にいるのだ。彼らはまた、一人の水浴者が無我夢中であばれ、溺れた妻を救おうとしながら、しきりに手を貸してくれと声をからして助けを求めるのがきこえる程度の距離にいるのだ――だがまた、その無我夢中の泳者は、やっきとなって彼の妻を足で踏みつけているのだということを(もし彼らがいち早く事故に気づいたとしても)見破るほど近い距離にいるのではなかった。

もしあの年が一九四七年でなく一四四七年だったら、私は心に鞭打って、瑪瑙の小壺から、ある古典的な毒薬を――甘い死の眠り薬を彼女にあたえたかもしれない。しかし、隣り近所の口がうるさい私たち中産階級の生活環境では、なにごとも城壁で仕切られた昔の城のなかでやったような具合にはいかないのである。現代では、人殺しになるためには科学者にならなければならないのだ。

いや、私は人殺しではない。陪審員の皆さん、ある少女とのうずくような、甘い、せつない、肉体的――ではあるが、かならずしも交接の必要のない――関係を追い求める性の冒涜者の大多数は、単に彼らの実際上まったく無害な、いわゆる常軌を逸したふるまい、彼らの性的偏奇による小さな、熱くぬれた、ひそやかな行いをば、警察と世間とから鉄槌を加えられることなしに追い求めることを、社会から許されたいと願うだけの、毒のない、気のきかない、消極的で弱気な異邦人にすぎないのだ。

彼女の奇妙に少女っぽい背中の曲線や、なめらかな肌や、ゆっくりとものうげにくりかえす鳩のような接吻は、いつも私の悩みを忘れさせた。これは、一部の山師や、まじない師がとなえるような二次的性徴を構成する芸術的特性などではなく、まったく正反対なのだ。セックスは芸術の付属物にすぎないのだ。

読者のみなさん!このハンバーグは、なんという愚かなハンバーグだったのだろう!彼は、極端に敏感な神経が過去の現場を直視するのをいやがるので、その秘密の部分をかいま見てたのしみたいと考えたのだ――それは、一人の少女を強姦するために列をつくってならぶ一隊の十番目か二十番目かの兵士が、やがて自分の順番がくると、少女の黒いショールをその白い顔にかけて直視するにしのびない少女の目をかくしてから、略奪した荒涼たる村落のなかで軍隊的な快楽をむさぼる情景を思わせた。

これは、しばしば気がついたことだが、私たちは友人たちに、あたかも文学作品のなかの人物が読者の心のなかで獲得するような性格の固定性をあたえようとする傾向があるようだ。私たちは、何度『リヤ王』を読み直しても、この善良な王が、三人の娘とその愛犬によろこびの再会をしたとき、すっかり悲しみを忘れて飲めや歌えの大騒ぎをしたあげくビールのジョッキでテーブルを叩くような場面には絶対に出会わないだろう。エンマがフローベルの父親の機宜にかなった涙の同情の塩によって生気をとりもどし回復するというようなことはけっしてないのだ。本のなかで、あれやこれやの有名な作中人物が、いかなる成長をとげるにしても、私たちの心のなかでは、その運命はきまっているのだ。同様に、私たちは、友人にたいして自分がこれとさだめた、あれこれの論理的、因襲的な型に、彼がすっぽりはまってくれることを期待する。

やがて私は日暮れどきの霧雨のなかで車を走らせた。フロント・ガラスのワイパーは全速で動いたが、私の涙をどうすることもできなかった。

この家は昔の造りなので、人目をはばかる生殖欲を計画的に果たすためには、鍵のかかる唯一の部屋――浴室を使わなければならないような表面だけを飾った当世風の住宅よりも、設計が計画的な内緒事に適していた。

やがて道は、ひろびろとした田園のなかを、まっすぐにのびていた。そのあたりで、どうせおれは人間社会の規範をすべて破ったのだから、ついでに交通規則ぐらい無視したところでかまわないだろう――抗議とか象徴的行為としてではなく、単に新しい体験として――という考えがふと心にうかんだ。そして、いきなり街道の左側を走って感じをためした。痛快だった。それは触感の発散をともなう横隔膜のとろけるような快感であり、しかも、その快感は、わざと道路の反対側を走ることほど基本的な物理法則の無視に近いものはないと考えることによって、いちだんと強められた。