チェーホフ『櫻の園』

ロパーヒン これは失礼、シャルロッタ・イワーノヴナ、まだご挨拶の間がなくて。〔彼女の手に接吻しようとする〕
シャルロッタ 〔手を引っ込めながら〕手にキスさせると、あなたはその次は肘、それから肩とお望みになるでしょうからね……

トロフィーモフ 僕は自由な人間なんですよ。だから、あんたたちが、金持も乞食もみんな、高く評価してありがたがっているものなんぞ、僕に対してはこれっぽっちの力もありゃしないんです。空中に漂っている羽毛みたいなもんさ。僕はあなた方なしでやっていけるし、あなたたちの横を素通りできる。僕は強い人間だし、プライドがありますからね。人類は、この地上で可能なかぎりの、最高の真実をめざして、最高の幸福をめざして進んでいるし、僕はその最前列に立っているんですよ!
ロパーヒン 行きつけるかな?
トロフィーモフ 行きつけますとも。〔間〕自分が行きつくか、でなけりゃ、行きつく方法をほかの人たちに教えてやりますよ。

ロパーヒン じゃ、さよなら、君。もう出かけなけりゃね。われわれはお互いに肩肘いからせているけど、人生は知らん顔してどんどん過ぎ去って行くんだよ。わたしは疲れも知らずに、永いことぶっつづけに働いていると、考えがすっきりしてきて、自分が何のために存在しているのかが、わたしだってわかるような気になるんだ。それにしても、君、何のためともわからずに存在している人間が、ロシアには実に大勢いるもんだね。

ラネーフスカヤ 十分ほどしたら、馬車に乗りましょう……〔部屋を眺めまわす〕さよなら、なつかしいお家。年寄りのお爺さん。冬が過ぎて、春がやってくると、お前はもういなくなってしまうのね、取りこわされてしまうんだわ。この壁はいろんなことを見てきたのね!〔娘に熱烈に接吻する〕わたしの大事な子、晴ればれした顔をしているのね、目が二つの大きなダイヤみたいにきらきらしているわ。嬉しいの?とっても?
アーニャ とっても!新しい生活がはじまるんですもの、ママ!