武者小路実篤『若き日の思い出』

実際、恋愛というものは一人前になる為に与えられているようなもので、理想の相手を求めると共に、自分を理想の人間にしようという努力が自ずと生まれてくるわけのものです。

「俺にもはっきりはわかっていないが、しかし人間の値打は結局、他人に働きかける質と量できまると思うね。自己を完成するのが個人の務にはちがいないが、自己完成というのはつまり円満な人格をつくることで、円満な人格をつくるということは他人が円満な人格をつくるのに役立つことを意味しているのだ。自分だけを完成する、しかし他人には何の影響も与えないで死んでゆく、悟りをひらいた釈迦がそのまま涅槃に入ってしまう、それでは面白くないと思う。自分が悟るのはつまりみなを悟らせるのに役に立つから貴いのだ。だから愛というものが貴くなるのだ。他人の生命を愛しない、また他人の生命に役に立つものを何にも持っていない、そういう人間は他人にとって無価値であることはわかり切ったことだが、同時に自己にとっても無意味である。光はあたりを照らすから光だ。」

私には実際いい友が居るのです。又私はいい母といい兄を持っています。私の叔父、宮津の父、それにもまして正子は私がものになることを信じていてくれるのです。私もまたいい気になって、その期待に反しない人間になってみせると思っているのです。自分の才能は信じませんが何かしないではやまない力では誰にも負けないと内心自負しているのです。私は詐欺漢ではない。私は正子をだまそうとは思わないのです。ありのままを見せて来たつもりです。別に自慢したり、吹いたりした覚えはありません。又そんなごまかしで優れた人々をだませるものとも思いません。実質をよくするよりほかに、自分のすべきことは何もないのです。

肉欲は自分と相手を動物にします。しかし恋は自分と相手を理想的なものにしたいと思うように出来ています。自然はなるべくいい子を生ましたがって、人間に恋愛というものを与えてくれたのです、ですからなるべく理想的な子を生む為にはなるべく理想に近い相手をさがさねばなりません。

「私は先祖を信じているのだ。だから子孫を信じている。私の思っていることはまちがいあがるとは思わない。私は勉強したり、仕事したりして退屈すると、孫を相手に遊ぶのだ。きっと自分が生まれかえったような気がするよ。一人位は、お祖父さんそっくりの子供が出来、俺の出来なったことをやってくれる」
「お祖父さんの虫のいい又夢もの語り」
「夢を見ることが出来るのは、うれしいものだよ。お前が野島さんを好きになったのも、実は生まれてくる子がお父さんを選択するのにほかならないのだ」

「私の専門は野島さんは知っていないかも知れないが、東洋史、それも古代史です。調べれば調べる程わからなくなる問題と私は毎日とっくんでいるわけです。わからない所が面白いのです。世界中の人がわからない。世界中の学者が、いかに自分が愚かであるかを証明しているような学問です。しかしそれが又面白い。実際わからないことだらけです。何千年何万年という年月の歴史が白紙のままになっているのです。その又前がなおわからない。しかしいくらわからなくとも、彼等が生きていたこと、生きる為にどんなに苦しんだか、どんな境遇を通って来たか、わかっているだけでも大変ですが、わからない所はなお大変だったと思います。しかし彼等はその大変な所を切りぬけて、生きて来、そして子孫を立派に残して来たことは疑えない。疑いようのない証拠がある。その証拠はつまり我々現在生きている人間です。小説に自分を主人公にした私小説というものがあります。主人公は随分いろいろの目にあう。時に随分危険な目に逢うことがある。読んでひやひやします。しかしその主人公は死なないことはたしかです。なぜかと言えばその当人が生きていて、自分のことを語っているからです。それと同じように、私は歴史を研究していると、人類が滅亡しなかったことが不思議に思えることがある。よく生きぬいて来たものと思う。誰が何と言おうと我々の先祖はともかく一人の子供を生むまで生きぬいて来たことは事実でさもなければ我々は生まれるわけはないからです。ですから我々は今後どんな目にあっても生きぬくだけの力を持っているはずです。途中で死ぬものも勿論あります。しかし生きぬく力を遺伝されていないものはないのです。我々にはどの位多くの先祖があるかわかりませんが、皆それ相応苦しい所を生きぬいて来た人々です、我等はその子孫です。生命の勇士の人々です。我等は先祖を辱しめてはならないのです。だからどんんあことがあっても生きぬく必要があり、強い子孫をつくる必要があるのです。未来に対し我々は臆病になる必要はないのです。どんな時でも生きぬいた者の子孫だということを、我々は誇りとすべきです。その我々は立派な証明をしているのです。我々は生きぬく者です。どんな時でも絶望することを知らない、立って進めない時は、はいずっても進んで来た人々の子孫です。よく生きて来てくれたと思います。その生命力を我々は内に感じています。さかんな生命力です。若々しい生命力です。我々はそれを野島さんの目の内に認めたのです。正子の内にも認めていたのです。この二つの生命がひとつになる。祝されるべきだと私は思ったのです」

「私は奇抜な事は嫌いです。平凡なことが好きです。淡々たる味の内に無限の面白味があると思っています。平凡な日常生活の内に実にくめどもつきない興味があるのです。私は奇抜なことではないと深刻でないと思う人に反対です。今日のこの集まり、実に平凡です。御馳走は何にもない。ただ五人の人が集まっているに過ぎません。実に静かです。饒舌っているのは私は一人です。でもこの平凡な静かさの内に無限の味がある。一人一人無限の感があると思う。の島さんあなたはそうは思いませんか。この平凡は日常生活の内に無限の味を見出すもの、それが本当の詩人ではないのですか。星や花も静かです。太陽や月も別に奇抜ではない。奇抜なものもあってもいい。しかし私は奇抜なものを必要とは思わない。この平凡な勤勉な日常生活、私はその淡々たる味を讃美するものです。静かに勉強、静かに働く、勤勉な農夫、こつこつ働く者、私はそれを讃美します。平凡な家庭で、子供をかぎりなく愛する母、私はそれを限りなく美しく思うのです」

「どうせ人生は謎だよ。僕達はどんな事があっても生きぬく。それだけは君のお父さんがおっしゃった通り事実だ」
「本当に我々の先祖は大変な所を切りぬけてきた勇士達だね」
「偉い人達ね」
「わるい奴もいたかも知れない」
「いい奴もいたろう」
「美しい人もいたわ。キット」
「醜い奴もいたよ」
「あらゆる人、あらゆる動物が居た」
「そう考えると変ね」
「それ等が皆生きぬいてきたのだ。それは事実だ」
「そうね」
「ほめていい」
「立派なことだ」
「偉いわ」
「僕達もその仲間だよ」
「大変な進軍だ」
「どこへ行くのかね」
「理想の世界だ」
「地獄も通りぬけるだろう」
「煉獄界も通る」
「通りぬけるのだ」
「そして光明の世界に入るのだ」
「それまでに、どんなに多くの人が死ぬか」
「それでも生きぬく者がいるのだ」
生命の川の流れ、私達はそんなことを考え、元気に三人で歩きました。三人の歩調はいつのまにかひとつになり、人通りのない町を三人並んで進軍しました。