大岡昇平『野火』

「わかりました。田村一等兵はこれより直ちに病院に赴き、入院を許可されない場合は、自決いたします」
兵隊は一般に「わかる」と個人的判断を誇示することを、禁じられていたが、この時は見逃してくれた。

私は喉からこみ上げて来る痰を、道端の草に吐きかけ吐きかけ歩いて行った。私はその痰に含まれた日本の結核菌が、熱帯の陽にあぶられて死に絶えて行く様を、小気味よく思い浮べた。

死は既に観念ではなく、映像となって近づいていた。私はこの川岸に、手榴弾により腹を破って死んだ自分を想像した。私はやがて腐り、様々の元素に分解するであろう、三分の二は水から成るというわれわれの肉体は、大抵は流れ出し、この水と一緒に流れて行くであろう。
私は改めて目の前の水に見入った。水は私が少年の時から聞き馴れた、あの囁く音を立てて流れていた。石を越え、迂回し、後から後から忙しく現れて、流れ去っていた。それは無限に続く運動のように見えた。
私は吐息した。死ねば私の意識はたしかに無となるに違いないが、肉体はこの宇宙という大物質に溶け込んで、存在するのを止めないであろう。私はいつまでも生きるであろう。
私にこういう幻想を与えたのは、たしかにこの水が動いているからであった。

私は私の少年時の思想が果たして迷妄であったかどうか、改めて反省して見た。私が人生の入り口で神の如き不合理な存在に惹かれたのは、いかにも私が無知であったからではあるが、その時は生活に即したひとつの理由があったのを思い出した。私がすがるべき超越的実在者を呼んだのは、その頃知った性的習慣を、自己の意志によっては、抑制出来なかったからである。そして私がその行為を悪いと感じたのは、それが快かったからである。この間に働いていた感情を、私はその後すべて未熟な感覚の混乱として無視していたが、それは果たして過ぎ去っていたであろうか。
「恋愛とは共犯の快楽である」の如き西欧のカトリック詩人の詩句に、事実において私が性愛の行為に、少しもそういう実感を持たなかったにも拘らず、私の心の一部が共感した不思議を私は思い出した。

私は半月前中隊を離れた時、林の中を一人で歩きながら感じた、奇妙な感覚を思い出した。その時私は自分が歩いている場所を再び通らないであろう、ということに注意したのである。
もしその時私が考えたように、そういう当然なことに私が注意したのは、私が死を予感していたためであり、日常生活における一般の生活感情が、今行うことを無限に繰り返し得る可能性に根ざしているという仮定に、何等かの真実があるとすれば、私が現在行うことを前にやったことがあると感じるのは、それをもう一度行いたいという願望の倒錯したものではあるまいか。未来に繰り返す希望のない状態におかれた生命が、その可能性を過去に投射するのではあるまいか。
「贋の追想」が疲労その他何等かの虚脱の時に現れるのは、生命が前進を止めたからではなく、ただその日常の関心を失ったため、却って生命に内在する繰り返しの願望が、その機会に露呈するからではあるまいか。
私は自分の即興の形而上学を、さして根拠あるものとは思わなかったが、とにかくこの発見は私に満足を与えた。それは私が今生きていることを肯定するという意味で、私に一種の誇りを感じさせたのである。
私を取り巻く野の明るさを、私はそれほど怖れなかった。人々も過去の私も、繰り返し生きていた。しかし死に向かって行く今の私は、繰り返してはいない。この確信は私を一種の冒険的勇気に駆った。

今平穏な日本の家にあってこの光景を思い出しながら、私は一種の嘔吐感を感じる。しかしその時私はそれを少しもそれを感じた記憶がない。嘔吐感は恐らくこの映像を、傍観者の心で喚起するためである。平穏な市民の観照のエゴイズムの結果、胃だけが反応するからである。

時たま雨があがって、眩しい陽光が木々のあはいから差し込む時、兵達は林中に坐って裸となり、衣服を干した。彼等の体は痩せ垢によぎれていたが、その褐色と、拡げた軍服の黄、褌の白が、湯気をあげる下草の上に点在するのは、珍しく花やいだ光景であった。

内部へ収容するまで、一つの担架が暫く道の上に放置された。その上に横たわった屍体の頭部に、米兵が何か挿すのが見えた。ライターが光った。すると意外にもその屍体が軽く頭をもたげた。細い煙がゆるやかに日光の中に立ち上った。煙草であった。その屍体は生きていた。

私は忘れていた。私は一人の無辜の人を殺した身体であった。同胞に会ったため、生還の希望を持ち、さらにその延長として、降服によって救命の手段を求めているが、そうだ、私はたとえ助かっても、私にはあの世界で生きることは、禁じられていたはずであった。
任意の状況も行為も私には禁じられていた。私自身の任意の行為によって、一つの生命の生きる必然を奪った私にとって、今後私の生活はすべて必然の上に立たねばならないはずであった。そして私にとって、その必然とは死へ向かっての生活でなければならなかった。

しかし私は昨日この瀕死の狂人を見出した時、すぐ抱いた計画を、なかなか実行に移すことが出来なかった。私の犠牲者が息絶える前に呟いた「喰べてもいいよ」という言葉が私に憑いていた。飢えた胃に恩寵的なこの許可が、却って禁圧として働いたのは奇妙である。

私は私の獲物を、その環形動物が貪り尽くすのを、無為に見守ってはいなかった。もぎ離し、ふくらんだ体腔を押し潰して、中に充ちた血をすすった。私は自分で手を下すのを怖れながら、他の生物の体を経由すれば、人間の血を摂るのに、罪も感じない自分を変に思った。