ドストエフスキー『賭博者』

二人の間には何か妙な関係が出来上がっているが、私に対する彼女の傲慢不遜な態度を照らし合わせてみると、この関係は多くの点において私の腑に落ちないのだ。例えば、彼女は私が夢中になるほど彼女に恋していることを承知しているのみか、私の感情を彼女に語ることすら許しているが、――しかし、勿論、かくべつ邪魔もしないで、無遠慮に自分の愛を彼女に語ることを許すと云うこと以上に、己れの侮辱を私に表現してみせる方法は又とないのだ。『つまりね、あたしはあんたあの感情なんか、てんで頭から問題にしていないんだから、あんたがあたしの前で何を云ったって、あたしにどんな感情をいだいていたって、あたしにしてみれば、それこそ全く同じことなのよ。』彼女は前から私に向って、いろいろ自分の打明話をして聞かせたものだが、しんから腹の底まで打ち明けたことはかつてない。それのみか、私にたいする彼女の投げやりな態度は、例えば、次のような微妙な陰影を帯びているのだ。仮に、私が、彼女の生活に関連したある事情か、さもなくば、彼女をひどく悩惑さしている事柄を承知しているのを、彼女の方でも心得ているとする。その時、もし何かの目的のために、私を奴隷として、ないしはまた走使として利用する必要があったならば、彼女はむしろ自ら進んで、その事情の一端を私に話して聞かせる。しかし、それはかっきり、走使に利用される人間として知らなければならぬ範囲にとどめておくのであって、たとえ私がまだ事件ぜんたいの連絡を知らずにいても、また私が苦痛と不安に悩み悶えているのを自分の目で見ていても、友達らしく打ち明けて、私を十分に落ち着かせようなどとは、金輪際することではない。実際、厄介千万なばかりでなく、危険さえ伴うような仕事に私を使うことも稀ではないのだから、その私に腹の底を打ち明けるのは、彼女の義務ですらあるのだ。しかし、なに、私の気持ちなど心配する値打ちがあるものか、私も彼女の労苦と失敗を気にして、同じようにやきもきしているどころか、寧ろ当の彼女より、三倍もやきもきして苦しんでいるからって、そんなことに心を労する価値がどこにあろう!

「百年なり、二百年なり、代々ひき続いて勤労、忍耐、分別、清廉潔白、意気地、堅忍不抜、見通し、屋根の上の鸛!抑々この上なにがお入り用です?もうこれ以上に高尚なものはない筈でしょう。そこで、彼ら自身も、この観点から世間じたいを裁きはじめ、悪いやつらは、と云って、ほんの毛筋でも自分たちに似ないものは、忽ち刑罰に処するというわけです。さあ、まずこう云った次第です。だから、僕はそれよりいっそ露西亜式に放蕩でもやるか、ルレットで大儲けでもしたい気持ちになりますよ。僕は、五代後のホッペ一家なんかには、なりたくないんです。僕は僕自身のために金がいるので、自分というものを、何か財産を構成するのに必要な付属物と見なすわけには行きません。」

「僕と一緒に歩くのは危険ですよ。僕はもう幾度となく、あなたを袋叩きにしてやりたい、片輪にしてしまいたい、締め殺してやりたいと云う、矢も盾もたまらない欲望を感じたものです。ところで、あなたどう思います、結局そこまで行かないでしょうか?あなたはいずれ、僕を前後も忘れてしまう程に仕向けますよ。いったい僕が世間の騒ぎを恐れると思いますか?あなたに怒られるのを怖がると思いますか?なに、あなたに怒られたところで何でもありゃしない。どうせ僕は望のない恋をしているのだから、幾ら怒られたって、かえって千倍も万倍もあなたを恋するに決まっている、僕にはそれが分かっています。もし何時かあなたを殺したら、僕は当然、自分でも死ななければなりません。さあ、ところがです、僕は出来るだけ長く自殺しないようにします、それはあなたがいなくなった後の堪え難い苦痛を味わうためなんです。あなた、一つあり得べからざることを教えて上げましょうか。僕は一日毎にますます強くあなたを愛していきます。ところが、そんなことは不可能なんですからね。さあ、これでも僕は宿命論者にならないでいられますか?そら、一昨日シュランゲンベルグで、僕はついあなたに吊り込まれて、囁くようにこう云ったでしょう、『たった一こと命令して下さい、僕はこの絶壁から飛び込んでみせますから』もしあなたがその一ことを口に出したら、僕はあのとき本当に飛び込んだに相違ありません。あなたは本当にしませんか、僕が飛び込むってこと?」

「その侯爵とミス・ポリーナに就いては、あなたは単なる想像のほか、何一つ正確なことは云えないのですか?」
ミスター・アストレイのような内気な人間が、こんな断固たる質問を提出したので、私は又もや一驚を喫した。
「云えません、正確なことは何一つ」と私は答えた。「勿論、何一つとして」
「もしそうでしたら、あなたはよくないことをしたのです、私にその話をなすったと云うことばかりでなく、あなたが心の中でそれを考えたと云う意味でもね」

私は一切プランを立てなかった。勝負をはじめる時、最後の当りが幾つと云ったかも聞かねば、それを訊ねてみようともしまかった。――それは多少なりとも分別のある賭博者なら、誰だってすることなのである。私は持ち合わせのフリードリッヒ・ドル二十枚を残らず引っ張り出して、目の前にあったパスに賭けた。

ミスター・アストレイは、何か不思議そうに私の云うことを聞いていた。どうやら彼は、私の悄気かえっちるところに行き会うものと思っていたらしい。
「それにしても、あなたが独立不覊の精神のみならず、快活な気分さえも完全に保持していられるのを見て、私は実は嬉しいのです」と彼はかなり不快そうな顔をして云った。
「というのは、腹の中で、何故こいつ叩き潰されてもいあんければ、落ちぶれてもいないのだろうと思って、忌々しさに歯ぎしりしているんでしょう」と私は笑いながら云った。
ミスター・アストレイは、とみにはがてんがいかなかったが、合点が行くと、にっこり笑った。
「その云い方は気に入りましたよ、その言葉で私は、以前の利口な、感激しやすい、と同時に皮肉な旧友を発見しましたよ。ただロシア人ばかりが、同時にそれだけの矛盾を包含し得るんですな。いや、確かに人間というものは、自分の最上の親友が落ちぶれているのを眼前に見ることを好むものです。友情というものは落胆の上に築かれるものですな」