ヘミングウェイ『武器よさらば』

「考える人間は、みんな無神論者さ」

「つまらないこと、あまりおっしゃるもんじゃなくってよ。悪かったって、あたくし、いったでしょう。もう仲直りはできましたわ」
「そうです」と、ぼくはいった。「それに、ぼくたち、戦争から逃げてきたんだった」

「あなたはやたらに質問をなさるのね、病人のくせをして」
「ぼくは病人じゃない。負傷しただけだ」

「夫婦で愛し合っているやつとは、友だちになれんよ」
「どうしてなんだ?」
「そういうやつらは、おれを好かないんだ」
「どうしてだ?」
「おれは蛇なんだ。理性の蛇ってやつだ」
「ごっちゃにしてるよ、君は。リンゴが理性さ」
「いや、蛇だ」彼はすこし陽気になってきた。
「君はそんなに深く考えないときのほうがいいぞ」と、ぼくはいった。
「おれは君が好きなんだよ、坊や」彼はいった。「君はおれが偉大なイタリアの思想家になると、とたんにおれをへこましちゃうんだな。しかし、口ではいえんことを、おれはいろいろと知ってるんだ。君よりはずっと知ってる」
「うん。そのとおりだ」
「しかし、君のほうがたのしい思いをするだろう。後悔はしても、君のほうがたのしい思いはするよ」
「おれは、そうは思わんよ」
「いや、そうだ。そりゃほんとうだ。現におれは、仕事をしているときしか、幸福じゃないからな」彼はまた床へ目をやった。

「あいつらは銃を捨ててるんです」ピアーニがいった。「行進しながら、銃をはずしちゃ、捨てているんです。それから、どなり散らすんです」
「銃は持ってなきゃいかんよ」
「あいつら、銃を捨てさえすりゃ、闘わされないと思ってるんです」
暗闇と雨の中で、道路わきを歩きながら、ぼくは部隊の大部分が、まだ銃を持っているのを見ることができた。銃はかれらのマントの上に突きでていた。

ぼくはみんなの幸福を祈った。善良な人間もいたし、勇敢な人間や冷静な人間、そして感じやすい人間もいたが、みんなそれだけの価値のある人間だった。しかし、もう自分の出る幕ではない。ぼくはただ、この殺伐な列車がメストレについてくれて、ものが食えて、考えることをやめたいだけである。ともかく、やめなければならない。

おれは考えごとをするたちではない。食うように生まれついているのだ。畜生、いかにもそのとおりさ。食って飲んで。キャサリンと寝る。今夜、そうなるかもしれん。いや、そいつはできない相談だ。だが、あすの晩は、うまい食事とスーツと、そして二人いっしょでなければ、もう二度とどこへも行かんことだ。たぶん、大あわてで行かなければなるまい。彼女は行ってくれるだろう。きっと行ってくれるはずだ。二人でいつ行こうか?そいつは考えておかなければならない。もう暗くなってきた。ぼくは横になったまま、二人でどこへ行こうかと考えた。行くところはたくさんある。

新聞は持っていたが、戦争の記事は読みたくなかったから、読まずにおいた。戦争を忘れたかったのだ。ぼくは勝手に単独講和を結んだ気持だった。

「ぼくが送ったタバコは、とどいたかい?」
「いただきました。わたしの葉書、つきませんでしたか?」
ぼくは笑った。タバコは手に入れることができなかったのだ。

ぼくらは疲れると眠り、一人が目をさますと、一人も目をさまし、したがって互いに一人ぼっちではなかった。よく男が一人になりたいと思うと、女のほうでもやはり一人になりたいと思うことがある。二人が愛し合っていれば、そういう気持を互いに嫉妬するものだが、しかしぼくらの場合は、正直なところ絶対にそんな気持を感じなかったといい切れる。ぼくらは二人きりでいるときにも孤独を感じることがあったが、それは他の人たちに対して自分たちを孤独に感じる気持である。ぼくは一度それに似た気持を味わったことがある。大勢の女たちの中にいて、自分だけが孤独だったのだが、人間が最も孤独な気持になるのはそういうときなのだろう。

「少しでもいま払わせてもらおう、ボートの代金は」
「いえ、わたしも一つ運だめしをやってみます。うまくあちらまでおいでになったら、せいぜい払っていただきましょう」

「きっともうじき、おれたち逮捕されるよ」
「心配なさらないでよ。朝食を食べましょうよ、まづ。逮捕されたってかまわないでしょ、朝食がすんだあとなら」