島田雅彦『優しいサヨクのための嬉遊曲』

りかちゃん人形は処女である。しかし、人前ではよく裸になる。持主の意のままに服を脱がされ、また着せられ、風呂に入れられ、寝かされる。自分では考えることができない可哀相な子だ。誰か彼女を啓蒙してやらなくては。

「……僕は六十年代に生まれて、八十年代に大学生になったわけだから、出遅れた左翼学生とでもいうか、そんなケチな野郎だよ。僕が六十年代から七十年代にかけて大学に来てたら、ひどい目に遭ってたと思うよ。粛清されただろうな。『家庭的だ』とか何とかいわれてね。でも、家庭の幸福をつくれない人間が革命起こしたら、みんなは泣くことになるよ。社会に変化を起こすのは家庭的な人間しかいない。平凡な人間でなきゃだめさ」

外池はコンパを価値あるものと考えていた。一緒に飲むことで共通の話題を探し、一緒に騒ぐ仲になれば裏切らない程度の団結はできると信じていた。下手なイデオロギーで団結できるなどとは考えられなかった。

道化団は黙っていた。沈黙と汗はよく似合う。二人はそういう汗を嫌った。二人は騒々しい居酒屋で、ビールを飲みながら笑う時に出る汗が最も好きだった。

「腹減ったな。ハンバーガー食べようよ。女を食っても腹の足しにはなりませんよ」と訛りの田端がいう。すると無理は言う。
「もっともらしいこというなよ。おまえ、ハンバーガー食えば勃起するのかよ」

道化団の三人には「チクショー!」というコトバはよく似合っていた。「女とやりたい」という衝動は狼であるが、「それができない」という現実が彼らを羊にしていた。彼らにとって最も都合がいいのは、女が近寄ってきて「一緒にどう?」と誘ってくれることである。無理も石切も田畑も「女に犯されたい」と思っているのだ。

バージニヤは、いや一般的に女の子は何かうっとりさせるようなもの、何か眠りに似ているもの、かすかに色のついた空気のようなものが好きらしい。
(この赤い市民運動にも、女をうっとりさせるような何かが必要だ。雑誌づくりや集会も結構だが、今一つ、冴えない。おそらく、ファッション性に欠けているのだ。スタイルを洗練しなければならないのだ)

「ふふ、考えても駄目よ。考えるっていうのは悩むことなのよ。悩んだり、苦しんだりしたくなかったら考えない方がいいんですって」
千鳥の守護神、聖母、彼が入れるぐらいの大きさの容器=みどりはいった。それは千鳥だけでなく全人類をも救済しうる言葉だった。

優しいサヨクのための嬉遊曲 (福武文庫)

優しいサヨクのための嬉遊曲 (福武文庫)