三島由紀夫『複雑な彼』

女の部屋は一度ノックすべきである。しかし二度ノックすべきじゃない。そうするくらいなら。むしろノックせずに、いきなりドアをあけたほうが上策なのである。
女というものは、いたわられるのは大好きなくせに、顔色を窺われるのはきらうものだ。いつでも、的確に、しかもムンズとばかりにいたわってほしいのである。

冴子もぬかみその匂いが自分の指先から人前に漂いだすことを怖れぬではないが、一日一度のことだし、あとはよく手を洗って、オー・デ・コロンで拭いて、そしらぬ顔をしている。彼女は人の身に染みついて離れぬ匂いなどというものを、まだ信じていなかった。

「だって、私、女だからわかるけど、女同士の喧嘩の場合は、打たれた女より、打った女のほうが百倍も可哀想な女なのよ」

彼女は生れてからまだ真剣な恋というものをしたことがなく、何でもすぐ忘れてしまう傾きがあり、自分の心を理智的に自分で操れると思っていて、実は感情それ自体に深さがないのだった。

ブラジルでは、女と待ち合わせたら女が一時間は遅刻するのがふつうだが、幸いにして日本ではそんなことはない。しかし女というものは、定刻どおりに来る善意があっても、いざ玄関を出るときになって思い直して、洋服を着かえ、それに合せてアクセサリーから靴まで、万事万端とりかえたりして、遅れてしまうものなのである。いわば良心的な小説家の原稿が、いつも〆切に間に合わないようなものであろう。

「愛情に対しては、僕は節度のない人間かもしれません。カッとなりますから。でも、思い出に対しては、節度もあり、誠実そのものの男だと思っています」
「それはどういうこと?」
「それはつまりね、思い出というのは、もう固まった美術品みたいなものなんです。もう誰も手を加えることのできない、完成品の美なんです。ミロのヴィーナスと、美しい思い出とは同格なんです。
それをみんな思いちがえているんですよ。ミロのヴィーナスに十年ぶりに会ったって、欠けた腕が、いつのまにか生えているということはありえないでしょう。ところが思い出に十年ぶりで会うと、心の中でいろんな風に修正していて、欠けていた腕も生えそろっているわけだから、現実の思い出の腕が欠けているのを見て、『おや、片輪になった』と錯覚を起すんです。人間は必ずこういう錯覚を起すようにできている。バカな話じゃありませんか。
だから、僕が思い出に対して節度があるというのは、第一に、その昔の人に決して会わないようにすることです。
それから、僕が思い出に対して誠実だというのは、又会って好きになったら、全く新しい意味で好きになるので、思い出とは別個なものだと考えることです。つまりそうなったら、思い出のほうをさっさと殺してしまうんですよ。それがどんなに美しい思い出でも」
なるほどそれは、すばらしい理論だった。
冴子はきいていて、思わず同感しそうになった。
よく考えてみれば、ずいぶん身勝手な理屈だけれども、そこには人間が未来へ向ってともかく「生きて」ゆく、その秘訣のようなものが語られていた。