フローベール『ボヴァリー夫人』

エマは田舎をよく知っていた。家畜の鳴き声も乳しぼりも耕作も知っていた。静かなもののありかたに慣れてきた彼女は変化に心をひかれるのだ。嵐があるので海が好きだった。草木の緑はただそれが廃墟のここかしこに見られるときだけ愛した。物事から一種の自分のための利益をひき出せないと気がすまない。自分の心情がすぐそれを用に供しうるものそれ以外はいっさい不用として捨ててしまった――芸術家的であるより感傷的な気質で、景色をもとめず、情緒をもとめていた。

そろそろ老人になりかけた連中はかえって若やぎ、若い者の顔にはどこか大人っぽいところが見えた。かれらの無頓着そうな目つきには日々の情欲がちゃんとみたされている落ちつきがあった。ものやさしい態度の下から、良種の馬をあやつるとか浮気っぽい女とつきあうとか、それで力がきたえられて自尊心も満足するような、半ば易々たることを支配することから生まれる特有の冷酷さが見えすくのだった。

「だって、あなた、たえず苦しめられている心ってものがあることがおわかりになりませんか?そういう心には、夢と行動、もっとも純粋な情熱ともっともはげしい享楽、それがかわるがわる必要なんです。そこで、いろんな種類の気まぐれ、狂気にとびこんで行くってわけで」

しかし、ロドルフは、どんなことにかかりあっても一歩あとにさがって観察する批評の有利な立場で、この恋からまだ他の享楽をひき出せる、と見た。いっさいの羞恥心を不便なものと判断した。彼はエマを無遠慮にあつかった。この女を、男のいいなりになる堕落したものにしてしまった。それは、彼にとっては自分を賛嘆しきっている、女にとっては快楽にみちた一種の白痴的な執着、女をすっかり麻痺させている幸福感だった。彼女の魂はこうした陶酔にひたり、ギリシャの葡萄酒の樽にひたったクラランス公のように、その中におぼれ、小さく縮んでしまった。
恋の習慣のはたらきだけで、ボヴァリー夫人の態度は一変した。目つきが大胆になり、言葉はあけすけになった。《世間を鼻であしらう》ように、煙草をくわえてロドルフと散歩する、といった不謹慎もやった。

言葉というものは、いつも、感情をひき延ばす圧延機みたいなものである。

青年はそれを一束買った。女のために花を買うのははじめてだ。で、彼の胸は匂をかぐと誇りでふくらんだ。あたかも他人にささげる敬意が逆に自分にもどってきたかのようで。

「美しいものは、なにもよごしはいたしませんよ」

ビネは頤をひき、鼻孔をふくらませ、ほくそえんでいた。結局はたいした努力もいらぬ仕事で知性をたのしませ、完成すると満足がえられる。しかしその先には全然夢想の存在しないくだらぬ暇つぶしに特有な、あのみちたりた幸福感にこの男は我を忘れているらしかった。

金の無心は、恋を襲う嵐のうちでいちばん冷たく、根こそぎにする力をもつものだ。

司祭は立ち上がって十字架像を取った。するとエマは渇いた人のように首をつきだした。そしてキリスト像にぴったりと唇をつけ、生まれおちてからはじめての最も熱烈な接吻を、消え去ろうとする力のありったけをこめて印しづけた。つぎに司祭は《憐み》と《ゆるし》の祈祷をあげ、右の親指を聖油にひたして、塗油をはじめた。まず目のうえに、痴情のあらゆる栄華をあれほどまでにむさぼり求めた目に。ついで鼻に、あたたかい微風と愛の薫りとを好んで嗅いだ鼻に。つぎには口に、嘘をつくために開かれ、また高慢さのゆえに嘆き、みだらな喜びに叫んだ口に。つぎに手、さわやかな感触を楽しんだ手に。そして最後には足の裏に、かつて欲望の充足を求めて走った時にはあんなに速かったが、今はもう歩きもしないその足の裏に。

「泣きなさい」と薬屋。「人間本性のおもむくままにしなさい。そうすれば気分もらくになる」