ヘルマン・ヘッセ『郷愁』

「この絵は」とリヒャルトは言った。「たいした作品ではない。もっと美しいのがある。だが、これをかいた人より美しい女流画家はいない。エルミニア・アリエッティという名だ。きみにその気があれば、あすにでも彼女のところに行って、あなたは偉大な女流画家です、と言うことができるよ」
「きみはこのひとを知っているのか」
「うん。もし彼女の絵が彼女自身ほど美しかったら、もうとっくに金持ちになって、絵なんかかかないだろう。つまり彼女はかきたくてきているんじゃない。たまたま、生きる道をほかにおぼえなかったので、かいているにすぎない」

「それもあなたのロマン的なお考えの一つですわ」と彼女は言った。「夜、こんな暗い水の上で女性に話しをさせようなんて。おあいにくと、私にはそんなこと、できませんわ。あなた方、詩人は、なんでも美しいことをことばに言い現わすけれど、自分の感情をそれほど話さない人にはハートがないようにすぐ思いこむ癖があります。私の場合はあなたの見当違いです。なぜなら私ほど激しく強く恋をすることのできる人がある、とは思いませんもの。ほかの女性に縛られている男の人を、私は愛してますの。その人も、私に劣らず、私を愛しております。でも、ふたりとも、いつかいっしょになれることがあるかどうか、わからずにいます。手紙をかわし、ときおりは会うこともありますけれど……」
「おたずねしますが、その恋はあなたを幸福にしていますか、それとも不幸にしていますか、それとも両方ですか」
「ああ、恋というものは、私たちを幸福にするためにあるのではありません。恋は、私たちが悩んだり耐え忍んだりすることにかけてどのくらい強くありうるかを、私たちに示すために、あるのだと思いますわ」

死は私たちの賢いよい兄弟であって、しお時を心得ているのだから、安心してそれを待っていればよいのだ、ということを私はとつぜんまた悟った。悩みや失望や憂愁が訪れるのは、私たちを不愉快にし、価値も品位もないものにするためではなく、私たちを成熟させ、光明で満たすためであることをも、私は理解し始めた。

「あなたは詩人ですのね」と少女は言った。
私は顔をしかめた。
「ちがった意味で申したのよ」と彼女は言い続けた。「あなたが小説などをお書きになるから、そう申したのではなく、あなたが自然を理解し、愛していらっしゃるからです。木がざわめいたり、山が太陽に輝いたとしても、ほかの人たちにはそれがなんでしょう?でも、あなたにとっては、そこに生命があるのです。それをあなたはともに生きることができるのです」
私は、「自然を理解する」なんてことはだれにもできない、どんなに探ったり理解しようと欲したりしても、見つかるのはなぞだけで、悲しくなるばかりだ、と答えた。日なたに立っている木、風化する石、動物、山――そういうものは生命を持ち、歴史を持っている。生き、悩み、さからい、楽しみ、死ぬ。しかしわれわれはそれを理解しない。