ヘルマン・ヘッセ『青春は美わし』
私は、あしたとだって言えないことはなかったが、ヘレーネ・クルツのことで頭がいっぱいで、あすにも何か幸福なことがむぞうさに起きるかもしれない、ひょっとしたらあすの夕方彼女が来るかもしれない、あるいは彼女は急に私が好きになるかもしれない、というとっぴな考えにとらわれていた。要するに、私は、世界中のあらゆる花火術よりも重大で心をたかぶらすことのように思われる事がらに、気を取られていたのだった。
友だちとして交際し、人生や文学について語り得るような少女は、そのころのわたしの生活環境の中では、まれにしかいなかった。妹の友だちは、これまでいつも私にとって恋の対象であるか、でなければ無関心なものであった。今、若い淑女とこだわりなく交際し、同等の人とするようにいろいろなことについて雑談ができるということは、私にとって新しく好ましいことだった。同等とは言いながら、声とことばと考え方の中に私はやはり、自分の心をあたたかく微妙に動かす女らしさを感じた。
「眠れない夜は」と父は言った。「いつだってやっかいなものだ。だが、よいことを考えていれば、それも耐えられる。横になっていて眠れないと、腹が立ちやすく、腹だたしいことを考えがちだ。だが、意志を用いてよいことを考えることだってできる」
「できますか」と私は尋ねた。というのは、この数年、私は自由意志の存在を疑い始めていたからである。
「うん、できるよ」と父は力をこめて言った。
ほかの人たちは元気でよくしゃべったが、私は口を閉じて、仲間いりしなかった。話したり、人と付き合ったりすることに対し、もうひそかに欲望を感じていたのだが。――若い人がよくするように、私は沈黙と予防的な反抗の防壁を自分の苦痛のまわりにめぐらしていた。私たちの家のよい習慣に従って、ほかの人たちは私をそっとしておき、私のあらわな沈んだ気分を重んじてくれた。それで私はその壁を破壊する決心がつかず、それまではまだ否応なしに本気でやっていたことを、今は一つの役割として演じつづけているにすぎなかった。しかし実際は自分の苦行の長つづきしないことを恥じていたのだった。
「親方、ラクダは何も飲まずに一週間働くことができます。それに引きかえ、あなたはいっこう働かずに一週間飲むことができます」
父はしまっておいた二、三のはなむけを、今打ちとけて、冗談の調子に感動を隠しながら、私にわたした。それは、数ターレルのはいっている小さな古風な財布と、ポケットに入れて持って歩けるペンと、きれいにとじた小さい手帳とであった。
この手帳を父は自分で作ったうえ、十二ほどの有益な人生訓を厳格なラテン字で私のために書いてくれていた。このターレルは倹約するように、しかし、出し惜しみはしないようにと、父は私にすすめた。このペンではほんとうにたびたびうちに手紙を書くように、そして、新しい良い格言を自分で味わって、なるほどと思ったら、父が自分の生活の間に有用で真実だと悟った格言と並べて手帳に記入するように、希望した。