トルストイ『復活』

お坊ちゃん育ちで根がお人善しの彼は、次第に自己を信じることを止めて、他人を信用し、世間に迎合し育従するようになった。事実、ネフリュードフにとっては、自己を信じつつ生活することは甚だ困難だった。自己を信じる時は、総ての問題を、単に安価な快楽を求めつつある動物的自我のために解決することが出来ない。ところが他人を信じる時は、何も自ら解決するには及ばなかった。自己を信じる時は、いつも人々の非難に会わねばならないが、その反対に他人を信じるとなると、自分を取巻く人々の称賛を博するのだった。
早い話が、彼が神のこと、真理のこと、貧富のことなどを、考えたり、読んだり話したりしていた時には、彼を取巻くすべての人々は、それを目して柄にもないと冷笑した。彼の母や叔母までが一種の皮肉まじりに、うちの哲学者先生が……などと呼びなすのだった。ところが彼が小説を読んだり、猥褻な派暗視をしたり、茶番狂言を見に行ったりすると、皆彼をほめそやすのであった。彼が節制の美徳を身につけようとして、古外套で我慢したり、禁酒したりすると、皆の者はそれを不思議がり、一種の高慢ときな独善だと言った。が、狩猟のためや贅沢な建築のために大金を費消すると、皆の者は彼の趣味を褒めた。彼が純潔を守り、結婚までそれを通そうとすると、身内の者は彼の健康を気遣い、反対に彼が或る婦人との情事に成功したと聞けば、母までがそれを悲しまないばかりか、一人前の男になったとて、むしろそれを喜ぶのだった。土地問題でも、彼が理想主義の立場から私有権を放棄して、父の遺産の土地を農夫達に分配してやった時も、母親始め身内の人々は彼の行為を非難した。土地を貰った農夫達も啻に富裕にならなかったのみならず、その邊に三軒の酒場を作り、全然労働が嫌になって、その結果却って貧乏になった位である。

男女間の恋愛には、必ずそれが頂点に達する瞬間がある。その瞬間には意識的な批判的な何ものもなく、また感覚的な何ものも無い。

人は如何なる職業であれ、それによって生活の道を得ているものを大切に思わなければならないのだ。
考えてみると、この人生観ぐらい、可笑しなものはない。盗賊はその機敏を誇り、醜業婦はその自堕落を鼻にかけ、殺人者はその惨酷を自慢する。而かも彼等は、本能的に彼等の人生観や、彼等自身の人生に於ける位置に対する見解を同じうするする人々と徒党を組むのである。われわれが彼等の非行に驚くというのも、実はわれわれが彼等の仲間の外に在るからだと言い得る。

「十年どころか、一生涯も昔のことだわ」と、マースロワは言ったが、過ぎ去った昔のことがまざまざと想い出され、彼女の顔は俄かに曇って、眉の間に深い皺が刻まれた。

最早六十歳のお婆さんである伯爵夫人は如何にも呆れ果てたという風に、眉をあげ、眼を丸くして、黙って甥の顔を見ていたが、結婚の話は女の方が不承知と聞くと、俄かに顔の表情が打って変わって明るくなり、満足そうな気色さえ浮かべた。
「そう、じゃその女はお前よりか余程悧巧だね。随分お前はお莫迦さんだよ。実際、本気で結婚する気かい?」
「無論ですとも」
「あんなふしだらなことをして来た女と?」
「だからですよ。ああなったのはみんな僕のせいだと言ってるんです」
「まあほんとに呆れたお莫迦さんだこと」と、叔母はほほ笑みを浮べながら言った。「途方もないお莫迦さんだよ。でもね、それだからこそ、私はお前さんが好きなんだよ」と、彼女は特にこの「お莫迦さん」という言葉が気に入ってるらしく幾度か繰り返したが、その度に彼女の眼は確かに甥の理智の通った道徳的な立場を呑み込んでいることを語っていた。

彼は悪事を行った訳ではないが、それよりも遥かに悪いことをしたのであった。というのはあらゆる悪い行為の根源たる悪い考えを起こしたからだ。