三島由紀夫『不實な果実』『女方』『獅子』

『不實な果実』

待つという感情は微妙なものです。それは人の生活に、落着かない不満足な感じと同時に、待つことそれ自身の言うにいわれぬ甘美な満足をもたらすからです。人は日々の生活を一刻も早く放棄したいという熱情と、その同じ生活を前にもまして大切にしたいという熱情とを同時に得ます。そこらじゅうがもやもやした不吉な幸福でいっぱいのように思われます。

私は悪戯をする子供の気持よりも、修身のお点のよいことをねがう子供の気持のほうが、ずっと恋心に近いことを知るのでした。まして恋というものは、そつのない調和よりも、むしろ情趣のある不釣合のほうを好くものです。

女方

万菊は恋をしていた。その恋はまず、目ざとい弟子たちの間で囁かれた。
たびたび楽屋へ出入りをしている増山にも、これは逸早くわかったことだが、やがて蝶になるべきものが繭の中へこもるように、万菊は自分の恋の中へこもっていた。彼一人の楽屋は、いわばその恋の繭である。

『獅子』

不快な予感のような目覚めである。朝は怖ろしかった。それは病人にとっての夜のような朝だった。繁子は残酷な忌まわしい夢からさめた。口の中が血の匂いでいっぱいのように感じられた。悪夢の中の流血の印象が口にのこったのではあるまいか。そうではなかった。月のもののその日には、繁子はそういう感じがして目をさますのが常だった。その日一日は何を喰べても血の味がした。
――引揚げの酸鼻な光景を目にして以来、自分の部屋には赤いものを一切置かせぬほど過敏になった繁子なのに、夢の中での流血は容赦もなかった。

母親を喪った一人娘への情愛は、ある人々にとっては嫉妬で自分を苦しめるほどに昂じるのを、圭輔はというと、まるでちがっていた。娘の勇敢な自主独往が、彼には端的に面白かった。二十四歳――つまり繁子と一つちがいで――未婚なのも、戦争中兵隊に行く学生たちで恒子と深刻な別れ方をしてゆく男が意想外に多かったことも、みんな圭輔には面白かった。娘が自分に平気で嘘をついたりするのを見ると、この面白さは殆ど絶頂に達した。彼の享楽的な利己主義は徹底したものであって、
娘に「いいお父様」とみえ、社員に「いい社長」とみえ、友人たちには「いい奴」とみえ、世間一般からは「実にいい人」とみえればそれで事足り、自分が誰からも愛されているという確信だけで愛情の問題は品切れになってしまうので、人を愛することなど余計であった。

「大人たちはどこへ行っても欲しがるのは拍手喝采だけなのでございますのね。子供はそれを心得ていて、大人を好い気持にさせてやるために、拍手喝采をするように馴らされてしまったのではございませんか」
「――ええ」と一瞬圭輔はぼんやりして、
「随分ひねった仰言り様ですね」
――そしてそんな繁子の言葉がいちばん自分の痛いところにふれたものであることに気がつくには時間がかかった。負傷者がややあってはじめて傷の痛みを知るように。

「僕は生憎どこの何子さんも愛してはいないんだ。僕は愛する義務は度々感じた。しかし愛する権利は唯の一度も感じなかった。正直のところ、僕の出会う女という女が、僕にその愛する義務を思い出させた。君もそうだった。君も僕に愛する権利を思い出させてはくれなかったよ」
「つまらない泣言を仰言いますな」
「僕が君にそむいたことがあったにせよ、君にそむくことが不倫の甘味を一度だって味ははせてくれたためしがないということは言えそうだ。すべての種類の愛情が、僕に『義務を果した』というけちけちした道徳的な喜びを教えるんだよこんなことなら偽善者の快楽を知るほうがまだましだった。僕はちっぽけなまざり気のない善行しかできない男なんだ。僕に焼餅を焼くなんてお門違いも甚しい」

「ああ、いいお天気だ」――家庭の揉め事、事務上の心労、引揚げのつらい思い出、凡てが彼には、心のもう一面を領している明るい茫漠とした屈託なげな思考へ翳を投げることさえなかった。地位だの名誉だの金銭だの、そういうものへの青年らしい野望が、彼にあっては内地の青年のようなガサガサした形をとらないで、人々がたくさん喰べて一日中笑って莫迦莫迦しい遊び事と真面目な仕事とを器用に仕分けて暮している・いわば痴愚の天国のような象徴世界の詩となるのだった。彼にはイデオロギーもなければ、小むずかしい哲学もなかった。しかし繁子がその中にいるような深い苦悩は、彼にはさしたる値打のないものと思われ、それについての自分の責任のあるなしは、また別の場所で考えるべきことだと思われた。彼女は眠れないという。しかし生きている以上何時間か眠っていない筈はないのである。水も喉をとおらないという。だが水も飲まずにいて生きていられるものではない。

親雄はいつもの習慣で門まで父に手を引かれて行った。
「親ちゃん幼稚園はおもしろいかい」
「おうちにいるよりはおもしろいよ」
寿雄は目に見えないものの敵意を感じて子供の手を離した。

人を殺めようと決心するとき、誰でも一応こうした考え事の時間は持つものだった。しかしそれが決心に何の役に立とうか。それは自殺者のためらいと似て、それを少しでも永く待つことによってなるべく無意識とか偶然とかに近い遣り方で決行する機会を狙うにすぎない。繁子はこれとちがっていた。「良人を苦しめる」という永らく親しんで来た一つの思考を實行によって終らせる前に、もう一度すみずみまで企まれた空想の歓びを味ははうがためだった。

母の目にあらわれたあのいあたましい恐怖の色を見たときから、親雄には母の常ならぬやさしさが怖くなった。その怖さは、更に深まった母の不幸への尊敬が、ただ甘い尊敬の気持ちだけでなく、その不幸のなかへ身を投げ入れたいとねがう烈しい悲劇的な衝動に移ってゆこうとする怖れでもあった。彼は母よりもずっと不幸な人間になりたかった。母の不吉なやさしさに本当に価するような自分になりたかった。彼はあの健気な微笑をもう一度自分の口もとに呼還そうと努力した。