三島由紀夫『春の雪』

清顕はそのとき何を言おうとしたのか。
強いて説明すれば、彼は何事にも興味がないと言おうとしたのだ。
彼はすでに自分を、一族の岩乗な指に刺った、毒のある小さな棘のようなものだと感じていた。それというのも、彼は優雅を学んでしまったからだ。つい五十年前までは素朴で剛健で貧しかった地方武士の家が、わずかの間に大をなし、清顕の生い立ちと共にはじめてその家系に優雅の一片がしのび込もうとすると、もともと優雅に免疫になっている堂上家とはちがって、たちまち迅速な没落の兆を示しはじめるだろうことを、彼は蟻が洪水を予知するように感じていた。
彼は優雅の棘だ。しかも粗雑を忌み、洗練を喜ぶ彼の心が、実に徒労で、根無し草のようなものであることをも、清顕はよく知っていた。蝕もうと思って蝕むのではない。犯そうと思って犯すのではない。彼の毒は一族にとって、いかにも毒にはちがいないが、それは全く無益な毒で、その無益さが、いわば自分の生れてきた意味だ、とこの美少年は考えていた。
自分の存在理由を一種の精妙な毒だと感じることは、十八歳の倨傲としっかり結びついていた。彼は自分の美しい白い手を、生涯汚すまい、肉刺一つ作るまいと決心していた。旗のように風のためだけに生きる。自分にとってただ一つ真実だと思われるもの、とめどない、無意味な、死ぬと思えば活き返り、衰えると見れば熾り、方向もなければ帰結もない「感情」のためだけに生きること。……

理智があれほど人を信服させるのが難かしいのに、いつわりの熱情でさえ、熱情がこうもやすやすと人を信じさせるのを、本多は一種苦々しい喜びで眺めた。

ただ引延ばすことだ。時の微妙な蜜のしたたりの恵みを受けるのは、あらゆる決断というものにひそむ野卑を受け容れるよりもましだった。どんな重大事でも放置しておけば、その放置しておくことから利害が生れ、誰かがこちらの味方に立つのである。これが伯爵の政治学であった。