コミックマーケット87一日目

7:34宇都宮発、10:15国際展示場駅着。西待機列に着き大回りすることなく10:45には会場内へ。
西ホールで芸能サークルぐるっと。一般参加の気軽さでゆったり話したりしながら巡れた。なじみの方や初めての方ともお会いできてよかった。マジすか4楽しみだなーとかそういうのも。小銭の用意が足りなくてちょっと申し訳なくなったのは反省。
東ホールでもぶらっと。完売の憂き目に遇ったりもしたがめでたい由。あとはアニメ系(忍たまとか)の上手すぎて笑っちゃうような本を見たりして気が奮い立つ。
いつもの場所でいつもの仲間と会えて落ち着く。午後すぐには帰途へ。スムーズに移動して夕方には帰宅。いい本が手に出来て満足。

サークル参加でもないのにコピーまとめた。まー自分用のネタ備忘みたいのも兼ねてってことで。やっぱ描く自体もちろんだけど配置して文字入れてまとめて刷って留めて、てのが好きなんだよな〜と改めて強く感じる。

安部公房『他人の顔』

光というやつは、自身透明であっても、照らしだす対象物を、ことごとく不透明に変えてしまうものらしいのだ。

その夜、家に戻ったぼくは、珍しくバッハを聴いてみようという気をおこしていた。べつに、バッハでなければならないというわけではなかったが、この振幅の短くなった、ささくれだった気分には、ジャズでもないし、モーツァルトでもなく、やはりバッハがいちばん適しているように思われたのだ。ぼくは決して、音楽のよき鑑賞者ではないが、たぶんよき利用者ではあるだろう。仕事がうまくはかどってくれないようなとき、そのはかどらなさに応じて、必要な音楽を選びだすのだ。思考を一時中断させようと思うときには、刺戟的なジャズ、跳躍のバネを与えたいときには、思弁的なバルトーク、自在感を得たいときには、ベートーベンの弦楽四重奏曲、一点に集中させたいときには、螺旋運動的なモーツァルト、そしてバッハは、なによりも精神の均衡を必要とするときである。

だが、この先は、もう決して書かれたりすることはないだろう。書くという行為は、たぶん、何事も起らなかった場合だけに必要なことなのである。