松本清張『神と野獣の日』

評論家は、この事態について書きはじめた。もとより、その論文が水爆の爆発と同時に灰になることは承知していたが、彼は書かずにはいられなかった。このときほどその評論家は、仲間ぼめや義理づくの八百長や、自己顕示を放擲したことはなかった。彼は、今こそ自分のために論文を書いていた。
いや、書くことによって彼は自分の発狂を防ごうとしていた。彼はその論文の中に、今まで蓄積していたあらゆる哲学者や思想家の言葉を思いだしてちりばめた。しかし、精神の平衡を失った彼の論理は、よく読んでみると、日ごろに似合わず--いや、日ごろでも多少そうだったが--支離滅裂であった。

人間には、それぞれの生き方があった。絶望とわかったとき、その仕事に打ちこむことで、すべての恐怖を忘れようとする一群もいた。あるいは、そのことによって、発狂を防ごうというつもりでもある。
絵描きは新しい制作にかかっていた。屋内に残っている画家は、気に入った壺に花を入れて、克明にデッサンからはじめていた。屋外に出た画家は最期の東京を写生していた。カンバスにていねいに下図をとり、チューブをパレットに撒いたが、おそらく、その下塗りが終わるか終わらないうちに、彼自身も芸術も断絶するにちがいなかった。
しかし、絵描きはコンテを動かし、チューブを塗りつけていた。
詩人は、人類最期の詩を作っていた。
学者はおびただしい蔵書の中に埋もれて、日ごろ読み残していた本を手当たりしだいに出して読みふけっていた。彼は、読んでいるうちに新しい学説の着想を得たので、すぐにそれをメモにとった。異常心理の場合は、ふだんにない脳作用が起こるとみえる。しかし、時間があまりに残り少なくなっていた。この学説は彼とともに陽の目を見ないで永遠に埋没するわけだった。

遺書を残す手段があれば、まだ死と対決できたかもしれない。死後、自分の意志を他人に通じておくことで心が休まるからである。
宗教家は、死に対する哲学をつづることができる。芸術家は死の寸前に、人間がどのような思考方法をめぐらすかを書きのこせる。小説家は文章をかき、詩人はうまい詩が作れる。画家もまた、この死の街の一瞬をスケッチにして、後世の絶賛が期待できる。
つまり、読まれる手段が残されていたら大なり小なり、彼らは死後の自己顕示が可能なのである。そのために、遺書は当人を崇高化させるのである。