スタインベック『気まぐれバス』

「ひどく、切ったのかい?」と、にきびがたずねた。
「いや、軽くすんだほうだ。血を見なきゃ、仕事のかやはつかないっていうぜ。おれの親父はよくそういったものさ」彼はまた血を吸ったが、もう出血はあらかたとまりかけていた。
暖かい淡紅色の黎明が、いつか二人をつつみ、いまは電燈の光も色あせて見えてきた。
「グレイハウンドで、なん人ぐらいやってくるかな」と、にきびはひとり言のようにいった。すると、にわかに、チーコイに対する親しみからわいた、ある熱望が彼をとらえた。それは痛みを感じるほど、せつない願いだった。「チーコイさん」と、彼はおもわず口をきったが、その口調には、甘えるような。求めるような、訴えるようなひびきがあった。
フアンはナットをしめる手をよめて、一日の休みか、昇給か、それともなにかべつのことが、いい出されるのを待った。なにか頼みごとをいいだすに相違ない。それは口調でわかったが、フアンにとってはやっかいなことがらにちがいない。やっかいなことというものは、いつもこんなふうにして、はじまるのだ。
にきびは、口をつぐんだ。彼はそれをどういっていいか、わからなかった。
「なにか用かい?」と、フアンは用心して訊いた。
「チーコイさん、約束してくんないかーーねえーーもうおれのことをにきびってよばないって、約束してくんないか?」
フアンはナットにあてていたレンチをはずして、顔をななめにむけた。仰向けになったままで、ふたりは互いに顔を見あわせた。ふるい瘢痕の穴だの、新しい発疹にまじって、とりわけめだつ、ぷつんとした、先の黄色い膿疱が、いまや頬にとび出しかかっているのが、フアンの眼にはいった。じっと見ているうちに、フアンの眼ざしがなごんできた。彼には少年の気持がのみこめたのだ。きゅうに、いっさいがわかったようで、フアンはこれまでどうして気がつかなかったのかと、ふしぎな気がした。

みんなが出ていくとき、ノーマは鏡にうつる自分の顔に、しばしばみとれていた。彼女は眼を伏せてみた。いつも、これを忘れないようにするには、練習がいる。だが、こうすると、自分の顔つきが、すっかりかわるのが、ノーマには気にいった。