三島由紀夫『癩王のテラス』

棟梁 おそれながら、あれはまだ見習いの若僧で、経験というものを積んでおりません。
王 (微笑して)そちは想像が経験からしか生まれぬと申すのだな。それならそちの経験も大したものではあるまい。

宰相 この女の目はよその男へひたすら向けられている。この女の心はよその男のことを思いつづけている。しかも私の腕の中で!ああ、そのときだけ、私は力強い神のようになるのです。
第二王妃 地獄の王ですわね。
宰相 そうです。そうしてあなたは、地獄の妃にふさわしい方なんですよ。……鏡に映してごらんなさい、あなたの目は怒っている、蔑んでいる、憎んでいる。可哀想に王様はあなたのそんな鋭い美しさを御覧になったことがない。それをたのしめるのは私だけです。王様の御存知ないあなたの美しさはすでに私のもの。そんな美しさをあなたは惜しげもなく、私にだけ与えて下さるのですね。あなたは王様にはいつも甘ったるい生ぬるい愛の御馳走を、私にはピリリと利いた憎しみの胡椒を下さる。夏のものうい夜には、そのほうがずっと舌を喜ばせます。

肉體 死ぬがいい。滅びるがいい。朝毎のさわやかな息吹、ひろい胸に思い切り吸い込む朝風、その肉體の一日のはじまりは、水浴、戦い、疾走、戀、世界のありとあらゆる美酒に酔い、形の美しさを競い合い、ほめ合って、肌を接して眠る一日のおわりへつづく。その一日を肉體の帆は、いっぱいにかぐわしい潮風を孕んで走るのだ。何かを企てる。それがおまえの病気だった。俺の舳のような胸は日にかがやき、水は青春の無慈悲な櫂でかきわけられ、どこへも到達せず、どこをも目ざさず、空中にとまる蜂雀のように、五彩の羽根をそよがせて、現在に羽搏いている。俺を見習はなかったのが、おまえの病気だった。