ヘルマン・ヘッセ『地獄は克服できる』

『無為の技』

ほとんど間断なく、むらなく創作の仕事を続けることができる芸術家などは、まったくまれな例外にすぎない。このようなしだいで、芸術家は何も仕事をしていないように見える創作のできない状態におちいると、芸術に無縁な人はそれを見て軽蔑したり、同情したりするのである。新しいものを創造するための一時間のためには、その一時間の何千倍もの莫大な仕事が必要であることを、芸術に無縁な一般の人は理解できない。同様に一般の人は、芸術家がただ描きつづければよいだけなのに、絵筆で平行線を何本か引けばよいだけなのに、なぜそうしないで気が狂ったようになってしまうのか、そんなに興奮しないで絵を完成させればよいだけなのに、なぜそうしないで、たびたび仕事に行きづまってゴロリと横になり、くよくよ思い悩んで、何日も何週間ものあいだ仕事を放り出しておかなくてはならないのかわからないのである。

『精神の富』

私たちは生きることを通じて、子供から一人前の大人にならなくてはならない。人間は誰でも、従属することのできる能力と、自己を犠牲にする能力をもたなくてはならないことを学ぶ。つまり私たちは、社会の秩序を承認し、それを維持し、それを護るために自分の刹那的な快楽と欲望を犠牲にしなくてはならないことを学ぶのである。私たちがこの秩序を承認し、強制されてではなく、自由意志でこの秩序に従うならば、私たちは精神的に一人前に大人となり、教養ある人間となる。それゆえ、このようなことを決して学ばない犯罪者を、私たちは、精神が薄弱で、劣等な人間と判定するのである。

断章

ユーモア作家というものは、何を書こうが、その表題やテーマはすべて口実にすぎないのであって、実際には彼らはみな、そしてつねに、ただひとつのテーマをもっているにすぎない。それは、すなわち、人間生活の奇妙な悲哀と、こういう表現を許していただきたいが、人間生活が糞まみれであること、それにもかかわらずこのみじめな人生が、こんなに美しくすばらしいものでありうるのだということに対する驚嘆である。