谷川俊太郎『愛のパンセ』

『失恋とは恋を失うことではない』

失恋のすべてを通じて確かなことは、僕等はどんな失恋をするにしろそれは恋を失うことではにということです。失恋とは恋人を失うことかもしれないが、決して恋を失うことではない。
(略)失恋とは恋を失うと書く、ところが相手にきらわれる方は、きらわれるだけで、自分の方はまだその相手を好きなのだから恋を失ったことにはならない、だが反対に相手をきらう方はもはや相手を恋することは出来なくなっているのだから、これこそ本当に恋を失っているのだ、というのです。彼はだからふった方よりもふられた方がまだ幸福だと云い張るのです。

恋している者は偉大な創造者です。しかし恋されている者は、もし恋されているだけならば、哀れな享受者にすぎません。恋している者は相手のほんの小さな表情、とるにたらない言葉などをいちち気にかけながら、そしてそのため相手に完全に支配されているように見えながら、実は自分ひとりだけで自分の生を類ない喜びで一杯にすることが出来ます。

『愛をめぐるメモ』
接吻

どんなおしゃべりな娘も、接吻する時だけは口をつぐむ。どんな食いしんぼうの男も、接吻する時だけは口を休める。接吻は飲み食いやおしゃべりと両立しない。そこに接吻の尊敬と美とがある。同時に効果もある。