ヘミングウェイ『海流のなかの島々』

「なあ、トム、絵を立派に描くことは楽しみだが、文学を立派に書くのは責苦だ。一体どうしてかな?僕は立派な絵など描いたことはないが、あの程度でも結構楽しかった」
「さあ、どうしてかな。絵のほうが伝統の系譜が明確で、手助けが多いせいかもしれない。名作の直系の伝統にそむいたところで、伝統は常にそこにあって人を助けてくれる」
「も一つの理由は、画家のほうが人間的に立派なのが揃ってるためじゃないかね。僕もも少しましな奴だったら立派な画家になれたかもしれない。ひょっとすると、僕は立派な作家にうってつけという悪党なのかな」

皆がここにいてくれるのがハドソンを幸せな心地にし、いずれ去って行くなどとは考えたくもなかった。皆が来る前にも自分は幸せであり、ずっと以前から、堪えきれぬほどの淋しさを味わわずとも生き、仕事ができる術は身につけていた。が、子供たちの到着は、せっかく築きあげた自己防禦的な日課をすべて打ち砕き、今の自分はこの打ち砕かれた状態になじんでしまっている。快い日課ではあったーー懸命に仕事をする、予定の時間表で働く、物は所定の場所に置き、良く手入れしておく、食事も酒も予定して楽しみに待つ、読むべき新刊書、再読すべき古い本の数々。日々の新聞はきちんと届けば特筆すべき出来事であり、そもそもあまり定期的に届いたことがないので、届かなくとも失望は覚えないーーそんな日課。孤独な人々が自分を救い、時には孤独を晴らすことさえできるあれこれの工夫の盛り込まれた日課。自分で規則を作り、習慣を守り、意識的、無意識的にこれらを理容してきた。だが、一度子供たちが来てみれば、こういう規則や習慣に頼らずにすむのは、実にありがたいことだと悟ってしまう。

上のポーチでハドソンは絵を描き続けていた。皆の話はいやおうなしに聞こえてしまうが、皆が海から上がって来てから、まだ一度も下を見てはいない。自らを護るために作り上げた仕事の殻に閉じこもっているのが、かなり難儀になっている。今仕事の手を休めてしまったら、この殻は破られてしまう、と思う。皆が行ってしまったあとでも仕事はできる。だが、今手を止めてはならぬ、さもないと、おのがため仕事で築きあげたせっかくの安心立命が消えてなくなるのだ。ハドソンには分かっている。皆がいない時と同じだけのことは、きっちりやらねばならぬ。終わったら後片付けをし、降りて行くーーレイバーン、昔の日々、何だろうと知ったことか、くよくよ考えてどうなる。が、仕事を続けながら、すでに淋しさが忍び込みつつあるのを感じる。皆が去るのは来週に迫っていた。仕事だ、と自分に言い聞かす。きちんとやれ、習慣を護ことだ、いずれ習慣に頼らねばならなくなるのだから。

すべてを鈍らせるついでに、一時的に悲しみをも鈍らせてくれるものの一つが酒、心をまぎらせてくれるもののひとつが仕事。ハドソンはこの療法の双方ともわきまえていた。が、同時に、飲めば満足な仕事をする能力が破壊されることも知っているし、長いこと人生を仕事本位に築きあげてきたハドソンにしてみれば、仕事だけは絶対に失ってはならぬものだった。

「ちゃんとした子など願い下げだ」とウィリー。「そんなのに首突っ込んでみろ、たちまちパーだぜ、別な意味で。そうだろ、トム?ちゃんとした子ってのは、何より危険きわまるものだ。しかもちゃんとした子などにかかずりあうと、やれ非行幇助だか強姦だか強姦未遂だかで、首根っ子を押さえられる。ちゃんとした子などあきらめちまえ。俺たちがほしいのは淫売だ。気立てがよくって清潔でチャーミングで面白くて安上がりの淫売だよ。そう、それにちゃんとオマンコがつとまる奴」