ダンテ『神曲 煉獄編』

先生は両の手をひろげ
 草の上にそっと置いた。
 私は先生の意向を察し、
涙に濡れた両の頬を先生の方へ差しだした。
 そこで地獄の汚れを先生がことごとく洗い落とすと、
 蒼ざめていた頬にもあかみが戻ってきた。

「私のような体は暑さ寒さや苦しみは覚えるよう
 神の思し召しでできているが、
 その理由は私どもには明かされていない。
三位一体の神が司る無限の道を
 人間の理性で行き尽くせると
 期待するのは狂気の沙汰だ。
人間には分限がある、『何か』という以上は問わぬことだ。
 もしおまえらにすべてがわかるというのなら、
 マリヤが〔キリストを〕お生みになる必要はなかった。」

「なぜおまえはそのように気を取り乱すのか」
 と先生がいった、「足取りが遅れたぞ、
 みんながひそひそ喋るのが気になるのか?
私について来い。勝手にいわせておけ。
 風が吹こうがびくとも動ぜぬ塔のように どっしりとかまえていろ。
次から次へと考えが湧く男は、
 とかく目標を踏みはずす。
 湧きあがる力が互いに力をそぎあうからだ」

「行きます」というよりほかに答えようがあっただろうか?
 そういうと思わず顔が火照ったが、
 時には赤面で許されることもある。

故人の思い出が後世に伝わるよう
 地面に掘られた墓の蓋には
 葬られた人のありし日の姿が刻まれている。
それを見ると思い出に心がうずき
 時には目に涙もにじむ。
 情の深い人だけが覚える胸の痛みだ。

「君、世間は盲だ、君もなるほどその世界の人だ。
君ら生きている人びとはなにかというとすぐ原因を
 天のせいにする、まるで天球が万事を
 必然性により動かしているかのような口吻だ。
仮にそうだとすれば、君ら人間の中には
 自由意志は滅んだことになり、善行が至福を
 悪行が呵責を受けるのは正義にもとることとなる。
天球は君らの行為に始動は与えるが、
 万事がそれで動くのではない。仮にそうだとしても
 善悪を知る光や自由意志が君らに与えられている。
そしてこの意志は初期の戦いでは
 天球の影響を受けて苦闘するが、もし意志の力が
 十分に養成されているならば、すべてに克てるはずだ。
君らは自発的に、より大きな力、より良き性質に
 自由に服することができる。その性質が君らの中に
 もう天球が左右できないような智力を創り出す。
だから、現在の世界が正道を踏み外しているとするなら、
 原因は君らの中にある。君らの中に求めるべきだ。」

ああ空想の力よ、おまえは時々私たちの外部への注意力を
 すっかり奪ってしまうから、幾千の喇叭が鳴るのに、
 それに気づかずにいることが私たちにまま起こる。
五官の働きでないとすると、何がおまえを動かすのか。
 それは光が天上で形を整えておまえを動かすからだ。
 光は自ずから動くこともあれば、神意によりくだることもある。

「自然的愛はけっして誤ることがない。
 だが意識的愛は、目的が不純であるとか
 力に過不足があるとかで、誤ることがある。
意識的愛が原初の善〔神〕に向かうかぎり、
 また第二の善〔物質〕の中で分限を弁えて動くかぎりは、
 罪のある喜びの原因とはなり得ない。
しかしそれが道をはずれて悪に向かうとか、
 本来の務めの度を過ごしたり不足したりすると、これは
 被造物が造物主の意にそむいて行動したことになる。
愛がおまえたち人間のあらゆる徳の種であり、
 かつ罰に値するあらゆる行為の種であることが
 これでおまえにはわかったはずだ。」

「あと何年生きるか知らないが、
 僕は僕が望むほど早くは
 この岸へ帰れそうもない。
僕が生きるように生まれついた土地は
 なにしろ日一日と善いところがなくなってゆく。
 悲惨な破滅に運命づけられている様子だ」

「血管は血液を渇き求めるが、〔精液となる〕完全な血液は
 血管にどうしても飲みkまれないから、
 食卓から下げられた食物のように、後に残ります。
その血液が、心臓の中で、人間の五体を形成する力を
 得るのです。ちょうど血管の中へ流れこんだ血液が
 人間の五体の養分と化するのと似たような道理です。
その血液は精化されて下へ降ります。口に出すよりも
 出さぬ方が穏当な局部です。そしてそこから
 自然の器の中で他人の血液の上へ滴るのです。
そこで血と血がまじりあいますが、
 一は受動の、他は
 完全な場所から出ただけに能動の血です。
それが相手の血と合すると、作用をはじめて、
 まず凝固させ、ついでその物質により
 固形化したものに生命を賦与します。」

「私はここまでお前を智と才でもって連れてきたが、
 これから先はおまえの喜びを先達とするがよい。
 峻険な、狭隘な道の外へおまえはすでに出たのだ。
正面に輝くかなたの太陽を見ろ、
 草花や樹々を見ろ、
 ここではすべてが大地あらおのずと生えている。
涙を流しておまえを連れて来るよう私に命ぜられた
 美しい喜ばしい目をした方が見えるまでは、
 おまえは坐るのも自由、草木の間を行くのも自由だ。
もうこれ以上は私の言葉や合図に期待してくれるな。
 おまえの意志は自由で、直くて、健やかだ。
 その意志の命令に服さぬことは過ちとなるだろう。
だから私おまえをおまえの心身の主として冠を授ける」

「おお、手に満つるばかり百合を与えたまへ」