シェイクスピア『尺には尺を』

公爵 天は人間が松明を用いるように人間を用いられる、松明が照らすのはおのれ自身のためではない、同様に人間の美徳もおのれのうちにのみとどまればなきにひとしい。人間の心が美しく造られているのは美しい行為を生むためにほかならず、自然がそのすぐれた力をいささかでも人間に貸したとすれば、計算高い女神にふさわしく、債権者として感謝のみでなく利息までもとりたてようとの魂胆なのだ。

アンジェロ 罪悪をかさねて立身するものもあれば、美徳を身につけて没落するものもある。悪徳の茂みからのがれてとがめを受けぬものもあれば、たった一度のあやまちのため断罪されるものもある。

アンジェロ おまえから、おまえのその貞淑さから守られねば!どうしたのだ、これは?あの女のせいか、おれのせいか?誘惑するものとされるものと、どちらの罪が重い?ああ!あの女ではない、あの女が誘惑したのではない、おれなのだ、スミレのそばに横たわる死骸のように、日の光に花が咲き誇るがおれは貞淑な輝きに腐っていくのだ。女の淫らさよりも淑やかさに情欲をそそられることがありうるのだろうか?荒地にはこと欠かぬのに、わざわざ聖域をとりこわしてまで、悪事を犯す場所を造る必要がどこにある!ああ、ばかな、ばかな!おまえはなんだ、なにをするのだ、アンジェロ?あの女の清らかさのために、あの女を汚そうと劣情を抱くのか?あの女を生かしておこう、裁判官が盗みを働くならば、盗っ人にも当然盗む権利があるはずだ。ああ、おれはあの女を愛しているのか、もう一度あの声を聞きたいと思い、あの目を見たいと願うのは?なんの夢だ、これは?こざかしい悪魔め、聖者を釣りあげるために聖者を餌にしたな!貞淑を愛する心につけこみ罪に誘う、そういう誘惑ほど危険なものはない。淫らな女であれば、もって生まれた肢体に化粧の美しさを加えて迫ってきても、おれの心は一度も動かされなかった。だがあの貞淑な乙女には、すっかり心をとりこにされた。たったいままで心のうちに色に溺れる男をばかにして笑っていたおれだったのに。

公爵 若さに恵まれているあいだは富には恵まれず、通風病みの老人に物乞いをせざるをえない、そして年をとって富を手に入れたときには情熱も意欲も健康も美も失い、せっかくの富も享受できなくなる。これでも人生の名にあたいするなにがあると言えよう?しかもこの人生にはさらに無数の死の苦しみがある、それなのに人間はすべてを平等にする死を恐れておるのだ。
クローディオ わかりました、生きたいと願うことが死を招くことであり、死を求めることに生があると。覚悟はできました。

イザベラ それはもう、いい知らせにちがいないわ、とってもいい知らせ。アンジェロ卿が天国に急用ができたので、お兄様をその使節になさろうというのよ。そこにお兄様は永住していいんですって。だから大急ぎでしっかり用意をととのえて。出発は明日と決まったわ。
クローディオ 助かる方法はないのか?
イザベラ ええ、あるとすれば首を救うために心をまっぷたつにすることだけ。

クローディオ 死ぬのは恐ろしいことだ。
イザベラ 恥辱にまみれて生きるのはあさましいことだわ。
クローディオ それはそうだが、死んで知らぬ世界に行くこと、冷たくじっと動かなくなって腐っていくこと、この生き生きとした温かなからだが感覚を失って一塊の土くれとなること、喜びにあふれる魂が地獄の炎の海にほうりこまれ、あるいは厚い氷に閉ざされた凍てついた世界に押しこめられること、目に見えぬ風のとりことなり、宙にただよい、地球のまわりをたえまない激しい力にあおられ吹き飛ばされること、無法なわけのわからぬ思いが胸中を吹き荒れるというもっとも悲惨な人間よりさらに悲惨なめに会うこと――ああ、あまりにも恐ろしい!老齢や苦痛や貧窮や投獄がわれわれ人間に与えうるどんなつらい、どんないとわしいこの世のせ痔かつだって、この死の恐怖にくらべればまるで楽園だ。

公爵 天にかわって正義の剣をふるわんとするものは、きびしくあるとともに清らかにふるまわねばならぬ。身をもって天下の規範となし、つねに胸のうちに美徳を抱き、行動には清廉を旨とせねばならぬ。他人を裁くにはまずおのれの罪をおしはかり、それによって処罰するようはからわねばならぬ。恥を知るがいい、おのれも犯す罪で残酷にも他人を断罪し死刑を宣告しようとするものは!恥を知るがいい、罪悪の芽を摘みとるべき身でかえってそれを育てている罪深いアンジェロは!ああ、うわべを見ればエンジェルと変わらぬが、人間、その内側になにをかくしもつかわからぬ!偽善の罪はいかに世間の目を欺き、とるにたらぬ蜘蛛の巣をもってたいせつなものを捕らえることか!

マリアナ お許しくださいまし、神父様、このように音楽を楽しんでいる恥ずかしい姿をお見せして。言いわけをさせていただけば、音楽を楽しみますのは喜びではなく悲しみのときだけなのです、私にとりましては。
公爵 いいではないか、もっとも音楽には魔力があり、それが悪を善に変えるのみならず善を悪に駆り立てもするが。