L・ザッヘル=マゾッホ『残酷な女たち』

『サイダから来た姉妹』

ダマリスの冷たさには、ひらひらと舞いながら落ちかかる雪が肌をくすぐると同時にほてらせもするように、神経を掻き立て落ち着かなくさせるところがあった。

彼女の目の色をめぐって論争がもちあがったことも一度や二度ではなかった。というのもダマリスの目は、彼女がほほえむときは青く輝き、夢見がちに思いに耽るときは黒い光を帯びるが、眦を決すると、そのとたんに両の瞳が緑がかった炎のようにめらめらと燃えあがるといったふうだったからである。

「君はいつだったか、男女というものはもともと敵対するものとして造られた、といったような、また恋愛とは悲惨な生き地獄にほかならない、といったような感想を洩らしたことがあったけれど、いまではぼくも君の言ったことはほんとうだと思うことができるようになった。しかしだ、そう確信してみたところでなんの役に立つだろう?全然なんの役にも立ちゃしないのさ。女というやつは、ぼくたちを支配するために自然から授かったくだんの力を利用して、ぼくらの目から隠しておきたがっているある目的を追い求めているのだ。すなわち生命という目的をだ!女にとっては毎日が生殖と創造のための日であって、絶対に安息などということはありえない。女は片時も休まずに、広大な宇宙をさまよう星々に植民し、地や水や風に植民する。しかし自分の造り出した生命が幸せか不幸せかなどということはすこしも顧みようとはしない。
恋愛の不思議、恋愛という大難題を、ぼくはいまのように考えることですっきりと解決できたと思っている。
秘蔵物の中には、その昔アジアの民たちが光と闇の二柱の神として祀った、二つの要素があるのだ。その名称について議論するのはやめて、ここでは一方を『精神』、他方を『自然』と呼んでおくことにしよう。
ぼくには、男では精神が、女では自然が優勢を占めているように思えるのだが、男の精神は自然が恋愛と同時に鎖を押しつけようとすることに対して本能的に反発せざるをえないのだ。でもしょせんそれは無駄な抵抗というものであって、女は最後には男を奴隷にしてしまい、男を無理やり自然の命令に従わせ。男に恋愛、結婚、子供という三重の首枷をはめるのだ。
自分の精神が永遠のイシスに征服されたと知った男は、愛する女の非道な圧政によっておのが身がおとしめられていることを感じていながら、それでも男の精神に特有の不可解な性向に引きずられて、その女が残酷になればなるほど、暴虐ぶりを発揮すればするほど、それだけでなく……不実であればあるほど、ますますその女を愛さずにはいられなくなるものなのだ」