ドストエフスキー『おかしな人間の夢』

おれはおかしな人間だ。
奴らは今ではおれのことを<気狂い>だと言っている。奴らにとっておれが以前みたいに<おかしな人間>じゃなくなったというんなら、これはまあ官等がひとつ上がったというものだ。でも、今はもう怒ってなんかいない。ただみんなが可愛い、懐かしくてたまらない。奴らがこっちを馬鹿にして笑っているときでさえ、なんだか特別に懐かしい気がして仕方がないのである。おれの方から連中と一緒になって笑ったっていい――なにも自分のことを笑おうというんじゃない、奴らを愛するあまりそうするのだ。もっとも、それも、奴らを見ていてそんなに憂鬱にならなければの話ではある。憂鬱なのは、連中が真理を知らないのに、おれはそれを知っているということなんだ。おお、われ独り真理を知るというのは、なんと苦しいことだろう!だが、あいつらにはそれがわからない。とてもじゃないが、わかるまい。

おれは忽然として悟った――世界が存在しようがしまいが、あるいはこの世の一切が消えてしまおうが、おれにとっては同じこと、どうでもいいことなんだ、と。そう、おれは、自分には何ひとつなかったということを、おのれの全存在をもって直感したのである。

依然として水滴は、一分ごとに、閉じた左目の上に落ちてくる。で、突然おれは、わが身の運命の(なんという理不尽!)支配者に向かって喚びかけた。もちろん声に出してではない――身動きできないから、自分の全存在をもって喚びかけたのである。
「おまえが何者であってもかまわない――もしおまえというものが存在するなら、そして今ここで起きていることよりももっと道理に適ったものが何かあるなら、それがここにもあるようにしてくれ。もしおまえがおれの無分別な自殺への罰として、これから先おれという存在を醜悪と愚行の極みの見本にしてやろうと考えているなら、これだけのことは知っていてもらいたい――たとえいかなる苦難に見舞われようと、そんな苦しみなどは、それが続く幾百万年かのあいだに、おれが無言のうちに味わうだろう侮辱に比べたら、まったく取るに足りないものだということを!……」

そういうことさ、とどのつまり、おれは彼らみんなを堕落させてしまったのだ!どうしてそんなことになったのかわからないが、とにかく記憶だけははっきりしている。夢は何千年かを飛び越して、ただおれに<全一なるもの>の印象を強烈に印したのである。要するに、わかっているのは、堕罪の原因がこのおれだったということだけだ。忌まわしい旋毛虫のように、全土を汚染するペストのばい菌のように、自分が来るまでは罪というものを知らなかった幸福そのものだったあの土地を、おれあhすっかり毒してしまったのである。
彼らは嘘をつくことを覚え、嘘を愛するようになり、嘘の美しさを知った。ああ、おそらく初めは無邪気なものだったかも……ほんの冗談から、媚びを売ることから、愛の戯れから、あるいは実際にばい菌のようなものから始まったのかもしれない。とにかく、そのばい菌が彼らの心に入り込み、しかも彼らの御意に召したのである。そうなったら、あっという間だ。たちまち情欲が芽生え、情欲は嫉妬を孕み、嫉妬は残酷を生んで……ああ、わからない、よく憶えていない。だが、そのあとすぐに最初の血しぶきがあがった。彼らは驚き、恐怖に立ちすくんだ。そうして、みなてんでに分かれて孤立し始めたのである。同盟が幾つも現われたが、それらはどれも互いに対立するものばかりだった。非難攻撃が始まった。彼らは羞恥というものを知り、羞恥を美徳に祭り上げた。名誉という観念が生まれ、おのおのの同盟にそれぞれ旗印が掲げられた。
彼らは動物を虐待し始め、同部tたちも彼らのもとを離れて森へ去り、彼らの敵となった。分裂、孤立、個性、それと所有のための闘争が開始された。彼らは互いに異なる言語で話すようになった。彼らは悲哀というものを知り、悲哀を愛するようになり、苦悶を渇望し、真理はもっぱら苦悶によってのみ得られるなどと言い出した。そしてそのとき、彼らのあいだに科学が出現した。彼らが邪悪になったとき、彼らは兄弟愛とか人道とかを口にし、それらの観念を理解した。罪を犯すようになると、彼らは正義なるものを発明し、それを保ち続けるために、さまざまな掟をもうけた。そしてそれら掟=法律を保証するためにギロチンをつくったのである。

「僕らが嘘つきの意地悪で、正しくない者であってもかまわないんだ。僕らはそれを承知していて、そのために泣きもし、そのことでわれとわが身を嘖んでいる。そんなふうにして、いずれ僕らを裁くだろう<名も知らぬ慈悲深き裁き手>以上に、自らを罰しているんだよ。でも、僕らには科学がある。科学があるから、それによってふたたび真理を見つけ出すんだ。そしたら今度は、もうそれを意識的に受け入れるにちがいない。知識は感情よりも高尚だし、生の知識は生そのものより高尚だからね。科学は僕らに叡智を授け、叡智は法則を啓示する。つまり、幸福の法則の知識というのは幸福そのものよりずっとずっと高尚なんだ、そうに決まってる」
これが彼らの言い分だった。そして、そんな言葉を並べたあとは、誰もがいちばん自分自身を愛するようになった。それよりほかに仕方がなかったのである。各人が自分の個性にかまけて、他人の個性を必死におとしめ過小評価しようと努め、そのことに生涯を費やすのだった。そして奴隷制度が出現した。自ら進んで奴隷になる者さえ出てきた。弱者は好んで最も強い者に服従したが、ただしそれは、自分よりさらに弱い者を圧迫するのに強者の力が必要だったからにすぎなかった。
やがて義人と称される人びとが現われて、彼らのもとにおもむき、涙を浮かべて、その奢りを、中庸と調和の喪失を語り、説き、羞恥心まで失い尽くしたことを責めたが、義人たちは逆に嘲られて、石を投げつけられたのだった。神殿の境内で神聖な血が流された。

彼らはすべてを手に入れようと悪行に訴え、うまくいかないと自殺に走った。空無のうちに永遠の安らぎを得ようとして、虚無と自己破壊を崇める宗教が現われた。そうした者たちもついには、無意味な労苦に疲れ果て、その顔には苦悩の色が滲み出た。すると彼らは――「苦悩こそ美である、なぜなら苦悩のうちにのみ思想は存するのだから」などと、いやに声高に唱えだした。そして苦悩を歌にうたうのだった。

おれは、手を揉みしぼりながら彼らのあいだを歩きまわり、彼らのために泣いた。でも、ひょっとしたら、おれは、彼らの顔に苦悩の色が浮かんでいなかったころ、そう、彼らがまだ無垢で清らかで美しかったころよりも、もっとずっと彼らを愛していたかもしれない。彼らが穢した地球を、おれは、まだそれが楽園であったときよりも、さらに愛するようになった。それはただ、そこに悲しみというものが現われたからにすぎない。ああ、おれはいつもその悲しみと憂いを愛してきたのだが、しかしそれは、おのれの、もっぱら自分のための悲しみだったのだ。彼らのことで泣いたのは、彼らを憐れんだからである。おれは彼らに手を差し伸べながら、絶望のあまりわれとわが身を責め、呪い、軽蔑した。おれは彼らに言った――
「これはみな、おれがしたのだ、おれひとりの仕業だ。きみたちに堕落と病毒と虚偽をもたらしたのは、おれ、このおれなんだ」
おれは彼らに、おれを十字架にかけてくれ、磔にしてくれと懇願した。おれは彼らに十字架のつくり方を教えてやった。おれは自分で自分を殺すことができなかった。そんな力はなかったけれど、その苦難を渇望し、その苦難の中で、自分の血が愛護の一滴まで流れることを渇望したのだった。

もしみんながその気になったら、忽ち何もかも出来上がってしまうんだがなあ!