三島由紀夫『宴のあと』

彼らの会話は、いかにも記憶の確かさ精密さを競うことに、重きが置かれすぎていた。それをじっときいていると、青年たちが女に関する知識で虚栄心を競っている会話と、どこか似ているような感じがする。不必要な精密さ、不必要な細部への言及、そういうことでまことらしさを確保しようとする慮り。たとえば昭和十二年の話をするにも、若い人なら却って、
「そうだな。昭和十年か、十二年ごろかな」
と言ってすますところを、
「そうですね。あれは昭和十二年、六月の七日ですよ。たしかに七日だ。土曜日だったと思う。勤めが早く退けたから」
とまで言ってしまうのである。

山崎はコーヒーを呑み、大きなショート•ケーキをあまさず喰べた。きちんとネクタイを締めて、赤ら顔で、大きな菓子を喰べる男がかずに安心を与えた。

「こんな沢山、餡パンをどうするんです」
「江東地区の孤児院へもって行きましょう」
「孤児には選挙権はありませんよ」
「孤児のまわりには感傷的な大人がいっぱいいます」

おかしなことに、こうした言いまちがえは殆ど聴衆に気づかれないばかりか、無味乾燥としか云いようのないその演説にも、年配の謹直な人々のあいだでは評判がよかった。山崎はそうい報告をきき、話下手に対する信頼という日本人の特性がなかなか失われないものだと知った。

気が咎めていたせいもあり、又、取り残された山崎の孤立を慰めたくもあり、言葉よりも身体の表現のほうがずっと自分を弁護してくれること知っているかづは、永い附合に一度もなかったことだが、山崎の手を上から包むようにして強く握った。
山崎のおどろいてこちらを見た目は、遠い外燈の光りをうけて煌めいた。
しかし山崎はこんな唐突な表現を誤解するたちではなかった。はじめて野口家でかづに会ってから、今日までの一年間の帰結が、こんな形でやって来るのは、それほど意外なことではなかった。それは友情でもなければ、まして恋愛でもない、二人の人間の間のわがままな関係で、山崎は無限に恕すことで、自分の客観性を保持してきたのであるから、かづだけがわがままだということはできなかった。そして最後に、画家が折角構図の整った絵を、おしまの一刷毛で台なしにしてしまうように、かづは急に手を握ったりする不釣合な表現で台なしにしてしまったのである。恋愛にとっては浅薄であり、友情にとっては冒涜である筈のこんな仕打ち、山崎は別の角度へ飛び退って、やすやすと恕すことができた。
それよりも山崎が感じたのは、かづの羽布団みたいに柔らかな温かい手が、包み込んでいるふしぎな力だった。それは有無を言わせない不合理なあいまいな温かさで、強い破壊力をひそめていた。それは密度を以て肉を充たし、まことにそれ自体のかげかえのない重みと暖かさと、そして暗さを蔵していた。

かづの目の前に、荒れはてた墓地の、誰も弔うもののない無縁仏の墓が浮んだ。孤独な活力の果てに、見捨てられた孤独な墓が、雑草におおわれて傾き、朽ちかけている幻影は、底知れぬ暗い怖ろしさでかづの心を刺した。かづが野口家の人でなくなれば、そこへ通ずる一本道をゆくほかはないのだから、この未来の暗示は無礼なほど正確だった。
しかし遠くから、かづを何ものかが呼んでいる。いきいきとした生活、多忙な毎日、大ぜいの人間の出入り、しじゅう燃えさかっている火のようなものがかづを呼んでいる。そこには断念も諦観もなく、むつかしい原理もなく、世間は不実であり、人間は皆気まぐれで、その代り酩酊と笑いとがのびやかに湧き立っている。その場所はここから見ると、暗い草原の彼方の丘の上、夜空を焦がしている踊りの人たちの火明りのように見える。
かづは自分の活力の命ずるままに、そこへ向って駈けて行かねばならぬ。何ものも、かづ自身でさえも、この活力の命令に抗することはできない。しかもそうしてかづの活力は、あげくの果てに、孤独な傾いた無縁仏へ導いて行くことも確実なのである。
かづは目をつぶった。