夏目漱石『坑夫』

意地の悪い事に自分の行く路は明るくなってもくれず、と云って暗くもなってくれない。どこまでも半陰半晴の姿で、どこまでも片付かずぬ不安が立て込めている。これでは生き甲斐がない、さればといって死に切れない。何でも人の居ない所へ行って、たった一人で住んで居たい。それが出来なければいっそのこと……
不思議な事にいっそのことと観念してみたが別にどきんともしなかった。今まで東京にいた時分一層の事と無分別を起しかけた事も度々あるが、その度々にどきんとしない事はなかった。後からぞっとして、まあ善かったと思わない事もなかった。ところが今度は天からどきんともぞっともしない。どきんとでもぞっとでも勝手にするが善いと云う位に、不安の念が胸一杯に広がっていたんだろう。その上いっそのことを断行するのが今が今ではないと云う安心がどこかにあるらしい。明日になるか明後日になるか、ことによったら一週間も掛かるか、まかり間違えば無期限に延ばしても差し支えないと高を括っていたせいかもしれない。華厳の瀑にしても浅間の噴火口にしても道程はまだ大分ある位は知らぬ間に感じていたんだろう。行き着いて愈とならなければ誰がどきんとするものじゃない。従っていっそのことを断行してみようと云う気にもなる。此の一面に曇った世界が苦痛であって、此の苦痛をどきんとしない程度に於いて免れる望みがあると思えば重い足も前に出し甲斐がある。先ず此の位の決心であったらしい。しかしこれはあとから考えた心理状態の解剖である。その当時はただ暗い所へ出ればいい。何でも暗い所へ行かなければならないと、ひたすら暗い所を目的に歩き出したばかりである。今考えると馬鹿馬鹿しいが、ある場合になると吾々は死を目的にして進むのをせめてもの慰藉と心得るようになってくる。但し目指す死は必ず遠方になければならないと云う事も事実だろうと思う。少なくとも自分はそう考える。あまり近過ぎると慰藉になりかねるのは死と云う因果である。
ただ暗い所へ行きたい、行かなくちゃならないと思いながら、雲を攫むような料簡で歩いて来ると、後からおいおい呼ぶものがある。どんなに魂がうろついてる時でも呼ばれてみると性根があるのは不思議なものだ。自分は何の気もなく振り向いた。応ずる為という意識さえ持たなかったのは事実である。

近頃ではてんで性格なんてものはないものだと考えている。よく小説家がこんな性格を書くの、あんな性格をこしらえたのといって得意がっている。読者もあの性格がこうだの、ああだのと分かったようなことを云っているが、ありゃ、みんな嘘をかいて楽しんだり、嘘を読んで嬉しがってるんだろう。本当の事を云うと性格なんて纏ったものはありやしない。本当の事が小説家などにかけるものじゃなし、書いたって、小説になる気づかいはあるまい。本当の人間は妙に纏めにくいものだ。神さまでも手こずるくらい纏らない物体だ。しかし時分だけがどうあっても纏らなく出来上がってるから、他人も自分同様締りのない人間に違いないと早合点しているのかもしれない。それでは失礼にあたる。

「やる気です」
と答えた。しかしこの答は前のように自然天然には出なかった。いわばいきみ出した答である。大抵の事ならやってのけるが、万一の場合には逃げを張る気と見えた。だからやりますと云わずにやる気ですと云ったんだろう。――こう自分の事を人の事のように書くのは何となく変だが、元来人間は締りのないものだから、はっきりした事はいくら自分の身の上だって、こうだとは言い切れない。況して過去の事になると自分も人も区別はありやしない。凡てがだろうに変化してしまう。無責任だと云われるかもしれないが本当だから仕方がない。これからさきも危しい所はいつでも此の式で行く積りだ。

自分はこう云う場合に度々出逢ってから、仕舞には自分で一つの理論を立てた。――病気に潜伏期がある如く、吾々の思想や、感情にも潜伏期がある。この潜伏期の間には自分でその思想をもちながら、その感情に制すせられながら、ちっとも自覚しない。又この思想や感情が外界の因縁で意識の表面へ出て来る機会がないと、生涯その思想や感情の支配を受けながら、自分は決してそんな影響を蒙った覚えがないと主張する。その証拠はこの通りと、どしどし反対の行為言動をしてみせる。がその行為言動が、傍から見ると矛盾になっている。自分でもはてなと思う事がある。はてなと気が附かないでも飛んだ苦しみを受ける場合が起ってくる。じぶんが前に云った少女に苦しめられたのも、元はと云えば、やっぱりこの潜伏者を自覚し得なかったからである。この正体の知れないものが、少しも自分の心を冒さない先に、劇薬でも注射して、悉く殺し尽す事が出来たなら、人間幾多の矛盾や、世上幾多の不幸は起らずに済んだろうに。ところがそう思うように行かんのは、人にも自分にも気の毒の至りである。

寝ると急に時間が無くなっちまう。だから時間の経過が苦痛になるものは寝るに限る。死んでも恐らく同じ事だろう。しかし死ぬのは、やさしいようで中々容易でない。まず凡人は死ぬ代わりに睡眠で間に合わせておく方が軽便である。

どんなに気分が悪くっても、煩悶があっても、魂が逃げ出しそうでも、腹だけは十分減るものである。いや、そう云うよりも、魂を落ち着ける為には飯を供えなくっちゃいけないと云い換えるのが適当かもしれない。

土間へ下りた以上は、顔を洗わないのかの、朝飯を食わないのかのと、当然の事を聞くのが、さも贅沢の沙汰のように思われて、頓と質問してみる気にならない。習慣の結果、必要とまで見做されているものが、急に余計な事になっちまうのは可笑しいようだが、その後この顛倒事件を敷衍して考えてみたら、こんな、例は沢山ある。つまり世の中では大勢のやってる事が当然になって、一人だけでやる事が余計のように思われるんだから、当然になろうと思ったら味方を大勢拵えて、さも当然であるかの容子で不当な事をやるに限る。

始めは、どうか一尺立方でもいいから、明るい空気が吸ってみたいような気がしたが、段々心が昏くなる。と坑のなかの暗いのも忘れてしまう。どっちがどっちだかわからなくなって朦朧のうちに合体稠和してきた。しかし決して寝たんじゃない。しんとして、意識が稀薄になったまでである。しかしその稀薄な意識は、十倍の水に溶いた娑婆気であるから、いくら不透明でも正気は失わない。丁度差し向かいの代わりに、電話で話しをする位の程度――もしくはこれよりも少しく不明瞭な程度である。斯様に水平以下に意識が沈んでくるのは、浮世の日が烈し過ぎて困る自分には――東京にも田舎にも居り終せない自分には――煩悶の解熱剤を頓服しなければならない自分には――神経繊維の端の端まで寄ってきた過度の刺激を散らさなければならない自分には――必要であり、願望であり、理想である。

先方が如何にも立派だから、此方も出来るだけ立派にしたい、立派にしなければ、自分の体面を損なう虞がある。向こうの好意を享けて、相当の満足を先方に与えるのは、此方も悦ばしいが、受けるべき理由がないのに、濫りに自己の利得のみを標準に置くのは、乞食と同程度の人間である。自分はこの尊敬すべき安さんの前で、自分は乞食である。乞食以上の人物でないと云う事実以上の証明を与えるに忍びなかった。年が若いと馬鹿な代わりに存外奇麗なものである。
「旅費は頂きません」
と断った。
この時安さんは、煙草を二三ぶくふかして、煙管を筒へ入れかけていたが、自分の顔をひょいと見て
「こりゃ失敬した」
と云ったんで、自分は非常に気の毒になった。もし遣るから貰って置けとでも強いられたならきっと受けたに違いない。そのあと気をつけて、人が金を貰う所を見ていると、始めは一応辞退して、後では大抵懐へ入れるようだが、これは全くこの心理状態の発達した形式に過ぎないんだろうと思う。幸い安さんがえらい男で、「こりゃ失敬した」と云ってくれたんで、自分はこの形式に陥らずに済んだのは有難かった。