田山花袋『生』

『恋愛は本能である』
と非恋愛神聖論者の言った言葉が第一に胸に浮かんだ。
恋愛とは要するに本能か。
頭脳が烈しく動揺した。天上から地の底深く陥るような心地がする。センチメンタリズム、アイデアリズム、かれは少なくとも美に憧憬した。所謂理想をも追求した。美しき面影を頭脳に浮かべて、身に汚き業する時にも、それを本能の盲目的威力に帰することが出来なかったのである。醜い汚れたこの人間の総ては、努力して改善して行ったならば、必ず理想の境に達することが出来ると信じて――寧ろ反抗的に病的にそれを信じて、四畳半の不潔な一室に汚い生活を送っていた。硯には塵が堆く、雑誌書籍の四辺に散乱している中に、髪を長く、顔を蒼く、自らその身を傷つけていたさまが歴々と眼に見える。机の上に鏡が置いてあったが、その鏡には髭の蓬々と生えた神経性の顔がよく映った。洋燈の蓋には恋、神聖、菊子、Love,Amour,mein,liebe,苦悶、懊悩、傑作などと謂う字が一面に書いてあった。そして兄が文箱の底に秘めて置く一冊の書をこっそり出して、またこっそり蔵って置いた。
母親の苦悩ということが続いて考えられる。兄の実際的生活も思い出された。
兄などの生活から判断すると、この人生は平凡主義快楽主義である。快楽を追究しさえすれば好いのである。平凡なる現象を追って、ある盲目的な力に屈従して行きさえすれば好いのである。
『それが人生か?』
と続いて思ったが、すぐ考えが変わって、
『母親は――母親は死に瀕している!』
死に瀕しているにも拘らず、その子らの結婚、この事実が銑之助の頭脳をまた烈しく動揺させた。

銑之助は荒涼たる家庭と母の性格とを思い遣った。人間はこの世の生活に伴わなくなれば次に来るのは死だ!母親のは確かに自ら呪い自ら傷つけた結果の病気である。昨年の十一月、兄が頻りに家を空ける頃、自らその衝突にも疲れて、『私のような我儘者はもう死んでしまう方が好い!』と我とわが身を捨てていた。十二月の初めにはその病気が既に萌し出した。

近いことと遠いこととが丁度遠近の無い銅版画を見るように一緒になって集って来る。いろいろな顔が眼前を走馬灯のように過ぎて行く。その身は今年六十一ということを忘れはせぬが、又一方では若い若い若い身のような気がする。庭の樫の葉が微かに風に動いて、ちらちらと日光が差し込む。前の井戸で水を汲む音がする。家婢のお鐵が門前で何か言っている声が聞こえる。例の落合の八百屋の爺の声だ。
『御隠居様は如何です?』
という見舞の言葉がする。

梯子の下の暗い処に色の白い娘が立っていた。ソッと手を握ったのを誰も知らなかった。

青年士官は剣を引き摺りながら、やがてその晴れやかな軍服姿を縁側の前に立たせた。
病人は涙を流して喜んだ。けれどその喜びはやがて深い悲哀である。抵抗することの出来ない力に対する悲哀は血を分けた親と子の全身の脈を動かした。
頬を流るる老婆の涙と秀雄の黙って背けた顔とを、同じく黙してじっと見ていたお米は、堪られなくなって自ら顔を掩って泣き出した。
秀雄は厳然と坐って、顔を背き勝に低頭かせて、瀧津瀬と胸に集って来る涙を自ら下唇を噛んで押さえた。
一座は深い沈黙に落ちた。
けれどもそれも瞬間であった。涙や悲哀は長く続くものではない。時ならずして、その沈黙は破られ、その涙は乾かされ、その悲哀は薄らいで行く。
病人の枕元には、紅い美しい数顆の林檎と土地の名産の林檎羊羹とが並べられる。病人はこの頃は殊に食欲が進まない。それに食ってもすぐもどしてしまう。また旨く納まったにしても腸の痛むのが恐ろしい。でも折角秀雄が遠くから持ってきたのだというので、一番味の好さそうなのをお米は選んで、半分にさいて、皮を剥いて、小さく割って、そのまま手に持たせると、病人は秀雄の顔を飽かず見ながら、それをさも旨そうにサクサクと音させて食った。

渠は母親の一生に同情した。けれどそれがいつもの同情とは不思議にも異なっていた。常には母のこうした境遇に身を置くに至った径路やら、正直な我儘な性質から萌した悲劇やらに涙を濺いで、快楽という快楽をも遂げずに、自ら身を亡して行くのを悲しむのであったが、今宵は何故か母親の死が人類一般の死と相連関していて、どうせ一度は死ななければならぬ人間の儚さがひしと胸に迫った。

玉蜀黍を食いながら、幼い頃の物語が始まった。一粒ずつ玉蜀黍の実を爪で取って、空地を拵えて、此処が三畳、六畳、ずっと奥が便所!などと物真似をして食ったものである。

『人間も死のうたって中々死ねないもんだねえ』と秀雄が突然いう。
『何故』
『だって、母様でも死ぬ、死ぬと医師から宣告されて、未だに生きてるじゃないか』
『あんな酷いことを……男は暢気だねえ』
とお米が呆れる。
『だって左様じゃないか。どうせ死ぬんなら、早く死んだ方がいい。僕などは卒中か何かで、ぽっくり死んでしまいたいよ……』と秀雄は平気で、
『それにしてもよく保つもんだねえ。丸で一週間から食うものも食わずに、ああしているんだがなあ』
『本当だ』
銑之助も言葉を合わせた。
『姉さんも国の方を何時まで放って置いていいのかえ。何とか消息があったかえ』
『好いたって、悪いたって、こうなって親の死に目に遭わないで帰れやしないやねえ。秀は暢気なことばかり言ってるよ、一体、情が薄いね、お前は……』
秀雄は笑っている。
けれど銑之助は秀雄のこうした言葉をも別に不思議とも暢気とも思わなかった。まして情が薄いなどと夢にも……。秀雄が心から母親を思っていることは銑之助はよく知っている。時分よりも数等情が篤いことも知っている。銑之助は涙を流したり悲しい言葉を言ったりする。けれどそれは情に篤い為ではない。昨夜もハンモックの上で、五月頃の月を見て、この月のいつ頃母の死に逢うことかと烈しく泣いた。けれどそれは母親を悲しむというよりは寧ろ自己の感情(センチメント)に泣いたのだ。その証拠には、其処に若い細君が帰ってきたら、その涙は忽ち乾いてしまったではないか。その柔らかい手を握ったではないか。
銑之助は自らこう罵った。

母がある時酒を飲んで酔って、『お前の父様などは気難しくって来たくはなかった。もっと好い人はいくらもあった』と言ったことを銑之助は思い出した。永久の人生に連珠の如く輝くのは若い恋である。

月が落ちた。黎明の光が何処となく行き渡った。潮時も来てやがて過ぎた。
鳥が啼く。日が出る。車井戸を操る音が其処此処に聞こえる。家々の引窓からは朝餉の煙が昇る。味噌をする音がする。新しい日毎の生活は始まった。けれど病人はまだ生きていた。お駒は井戸端で、『まだ御引取り下さいませんでね』と朝水汲みに来た隣の細君に話した。

最期!死!と思うと、悲哀の情が溢るるように人々の胸に漲った。死は総ての事情を忘れしめ、総ての汚れた思を清浄ならしめる。死に面しては、誰も厳かな悲哀と同情とに撲たれぬものはあるまい。

少なくとも三四十分は歔欷やら追懐やら悲しい繰言やらに過ぎた。けれどいつまでこうしている訳にはいかなかった。
お駒はまずその屍の傍に寄って、『眼を開けていてはいけませんからね、おふさぎなさいよ。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏』と生きている人に物言うごとく、眼を閉じ口を閉じて遣って、
『ああああ後生が好い、ほら、好い顔に成った、やさしい顔になった!』
かいがいしくうしろに廻って、汚いものがもしや出ていはせぬかと調べて見た。『ああ綺麗になっているよ、何も出ていやしない!』
『そうだろうともねえ、気丈な母様だったから』とお米はまた顔を掩った。
お駒はふと気が附いたらしく、『足や手は体の柔らかい内にちゃんとしておかないと、あとで困るがねえ……』茶の間に行った主人を呼び懸けて、
『鐐さん、棺はどうするんですえ!寝棺ならこうしておいても好いけれど……』
『無論寝棺さ!』と秀雄は声高く言った。

呼吸を引き取る前と引き取ってからとでは人々の頭脳が著しく変わった。前には或ることの結果を急いで、早く結末を見たいというような空気が漲っていたが、さて結末が到着してみると、今度はそれとは異なった清い美しい悲しい情が溢るるばかりに流れ渡ったのである。
けれど一方では兎に角これで重荷をおろしたというような気がした。誰も皆その前に新しい生活の開かれるのを見た。同胞の間の関係も、親という連鎖が断たれたので、全く独立した自由と淋しさとを感じた。