ポール・ニザン『陰謀』
それにしても、常に二千年にわたる諸問題と、一少数派のドラマをひきずっているのは、なんという不幸であろう。天涯孤独になり得ないとは、なんと不幸なことであろう。
「哲学者の役割は、ただひたすら、神聖な観念をけがすことにあるんだ。どんな暴力も、理論的な暴力以上に有効なものはないんだぜ。行動はその次にやってくるだろうよ……」
神を信じる人間は、この世のもっともけがらわしい感情にとらえられているにはちがいないが、それでも彼の生涯は全面的に支配を受けている。亀裂は存在しない。信仰の部分と、日常的な生活とに分裂しているわけではない。道をとって返して意見を翻したりすれば、必ずや自分が破壊されたと感ずるにちがいない。〈革命〉が要求するのは、このキリスト者の行動と同じくらいに効果的で、内的生命などとはかけ離れた行動だ。絶対に引返すことができないくらいにぼくらを束縛する行動だ。
このような商人たちは、子供のしつけについてはなかなかもって見事なものだが、いつの間にか〈精神〉――つまりこの世でもっとも無欲な行為――以外の何ものも尊敬しなくなった連中で、しかもこの奇抜な崇拝が実は一切を台無しにしてしまうことにも、またそれが一切を台無しにしてしまうことにも、またそれが商売人の頽廃にすぎず、ブルジョワのうしろめたさの現れにほかならぬことにも、まだいささかも気づこうとはしないのだった。むろん言い訳には事欠かない。いまだ嘗て、作家、芸術家、外交官といった一切のアリバイの創造者たち(〈精神〉活動にいそしむ人たち)が、これほどに商業価値と敬意とを賦与されたことはなかったのだから。
幸いにしてわたしには子供がない。だから自分が年老いてゆくのを見ないですんでいる。だがわたしは、日々に自分が廃棄されてゆくのを感ずる。唯一の希望は、いま一度自分をやり直すことだろう。
男が事故をやり直すのは、ただ女によってでしかない。あるいは戦争、革命によってでしかない。本を書こうではないか。
父親のエドワール・ロザンタール氏は、鈍重な男だった。頬はたるんでいて、いくら剃刀を研いでも傷がついてしまうい、血がいつまでもにじんでいるのだった。ベルナールは、時おり、父親の中に自分自身の姿を見るような気がして、一種の怒りを覚えた。自分自身の肉体の将来を、やりきれぬほど正確に想像するには、父親を見ているだけで充分だった。このような生きた予言、未来の化身――それは、自分が心を惹かれかけた娘の将来の姿が、その母親の顔立ちで暴露される場合もかなり辛いに相違ないが、自分自身のことになればいっそう堪えがたいものだ。父親に似る、母親に似る、未来の自分が予測されるというのは、なんとおぞましいことだろう。自分の死にざまや年のとり方を全然知らなければこそ、人は生きていられるというものだ。
この親子の関係は、未だ嘗て愛情に結ばれたものであったこともなければ、特に明確なものでもなかった。父と子のあいだには、そのような関係はなかなか芽生えるものでなく、むしろ必ずといってよいほど、漠とした不信感がみなぎっているものだ。子が、父親を模倣する年齢でもなくなり、父親とは常に敗北者だと思い始めるとき、彼の心に生ずるのはライヴァル意識であり、父親を追い越そうという野心であり、父の欠陥に対する軽蔑の誘惑なのである。
しかし、カトリーヌは、ベルナールのような少年にはとても手の届きそうにない女だった。欲望や、一人の女に親しんで得られる虚栄の喜びと、ほんとうの恋愛との間には、大きな距離があるものだ――、大きな距離と、まだベルナールが作りあげていない長いプロットがあるものだ。花のような頬をした、ダリアか椿のような女たち、十年来、家庭内でよく出会うこのような女たちをベルナールは憎み続けてきたが、兄嫁もそれに似ていた。絶対に沈着さを失わず、何気ないようすでいながら始終隙の見られぬ注意を配っており、きっぱりした決断、的確な判断を備え、しかるべきしきたり、身ぶり、言葉づかいを完全に心得、声や笑いは歌のように気どっており、身体は入念に飾られ手入れされて、病気や老いなどに縁がないように見え、熱などを感ずることのない肉体、絶対に損なわれることのない皮膚をしていた。
一人の女を愛そうとするとき、人は必ず相手に自分の幼年時代を物語るものだ。人は考える、彼女が膝小僧をまるだしにし、短いスカートの下から白くほそ長くひっかき傷のあとを見せていたころ、ひょっとしたらいっしょに遊ぶことができたのかもしれない、この失われた時をとりもどさねばならないのだ、だがそんなことはできっこないだろう、と。人は絶望する。時を取りもどすには、一生涯自分自身の前で、愛情のこもったおしゃべりを続けなければならないであろうと考えて。ベルナールはまだ警戒していた。カトリーヌには、天気のこと、海のこと、馬のこと、彼のした旅行のこと、おとなたちの奇妙な滑稽さのことしか、話そうとしなかった。だが、一人の女と共犯関係を結ぶには、合言葉を教えたり、一目で彼女のことがわかると思いこむだけで、実は充分なのである。
真の行動と呼ばれ得るものは、なんと数すくないことだろう。たとえば性行為、殺人、記念建造物の建立、道路の建設、大部隊攻略、危険をものともせぬ人生!だが、それ以外のほんとんどすべての行為は束の間の夢にすぎぬ。ベルナールにとって、おそらく恋愛は初めて登場した現実であり、カトリーヌは彼の最初の好機にほかならなかったのであろう。彼女こそ彼が生れて初めて衝撃を受ける機会であり、彼の最初の行動の口実であるのだから。
「もういよいよ遊びはお終いだ」とある夜ベルナールは思った、「勝利を収め、抵抗に打ち克つんだ」
ところが、すべてはあまりに容易だった。おそらくベルナールにとっては、征服しがたい女、激しい闘いのあげくに、ついに白旗をかかげて身を任せる愛人が必要だったのであろう。ところがカトリーヌは抵抗しなかった。みずから屈服を望む術を心得た女だったのだ……。
だがカトリーヌには想像力がなかった、彼女の肉体は記憶力を欠いていた。ベルナールは夢にも思っていなかったが、彼女は快楽の緊張と弛緩を、与えられたチャンスであり、甘美な偶然の出来事であるとしか受け取っていなかったのだ。これなしでは生きられない、などとは毛頭考えていなかったのだ。音楽を聞いているときには心を揺り動かされても、一向に旋律を覚えられない人がある。カトリーヌは、愛において、そのような女であったのだ。
「あなたって、どうしてこうペシミストなの?」と彼女は彼の髪の毛を愛撫しながら言うのであった。
「ペシミストじゃないよ」と彼は考える。「ぼくはただ、すべてのことが、幸福のきらめきをおびやかしてると思うんだ。喜びは、この世でもっとも悲劇的なものなんだ、不幸に打ち克って初めて産まれるものなんだ」
カトリーヌは、彼が期待する言葉、たとえば、「死んじゃいや。あたしが不幸を追い払ってあげる、そばにいてあなたを守ってあげるわね」といった言葉は、けっして口にしないのだった。
何ものも彼女を永久に縛りつけはしなかった、いかなる大役も彼女の心を引き留めはしなかった。彼女は絶えざる沈黙だった。やさしい遁走だった。すべてはこうして水泡に帰してしまった。
時おりベルナールは自問した、彼女が自分に、自分の未来に、疑いを抱いているのではないか、自分が女たちに必要な自慢の種になり得ぬことを怖れているのではなかろうか、と。ある日彼は、彼女に向かって言った。
「カトリーヌ、きみはほんとうに女なんだねえ。女はみんなそうだけど、きみも年寄りくさい、用心深い、たまらない女だねえ。一人の男を判断するのに、絶対に将来性を考えないんだ。成功した男かどうかってことだけが判断の基準なんだ。どうして分かってくれないの。ぼくはただすばらしい未来のために生きているんだよ。自分でも全貌がわからないような未来のためにね」
「あなたってまるで子供ね」カトリーヌは答えた。「えそをかきそうになって、こう言ってるんだわ、<ぼく、大きくなったら、すごいことをしてみせるよ、そのときになったら分かるよ>ってね。でもあたしは、年寄りくさくも、用心深くもないわ。ただありのままのあなたを愛してるの……」
不幸なことに、カトリーヌはこんなことを未だ嘗て本気に考えたことがなかった。ベルナールの言葉はただの一語も理解していなかった。彼女の答えは、若い女にあり勝ちな安直な好意の命ずるものにすぎなかった。ベルナールは、一人のつんぼの女に話していたにすぎない。彼には思いもよらぬことだったが、よく人びとの言うように、カトリーヌはクロードに<まったくお似合い>だったのである。
「せがれは、時どき、わたしのことを話しておりましたでしょうか」
ラフォルグは、この敗北の告白、この突然の降伏に、動転した。しかし、友人ロザンタールの仇をとる最初の機会を逃しはしなかった。
「いえ全然」とラフォルグは答えた。
ロザンタール氏は、ほっとため息を洩らした。
フィリップは死ななかった。ある夕べ、彼はざらざらとした砂のような死の境界のこちら側に再び眼ざめたのであった。部屋は闇に包まれ、ただ青い色に塗られた小さな豆ランプが点いているだけで、それが彼の帰還に、寝台車のような、夜の旅行のような趣を与えていた。肘掛け椅子では、夜勤の看護婦が一人、毛布にくるまって眠っており、口を半ばあけて静かにいびきをかいていた。幸福感が彼を貫いた。これに比すれば、あらゆる快楽も実体のない影にすぎない。彼は存在していた。暗い深淵からよじ登った。生命の輝く水面に、身を浮かべていた。彼は微笑した。それからまた眠りこんだ。だがそれは生者の眠り、夜明けを待つ眠りであった。
すべてが始まった。怒りにかられて生きてゆくために、一秒たりとも、も早無駄にはできなかった。流産に終わる試みをくり返す大々的な遊びの時期は終焉した。なぜなら、ほんとうに死ぬということがあり得るのだから。
「選ばねばならないだろう。生命の広がりを夢見る時期は終了したんだ……。今後は密度を求めねばならないだろう……。とるに足らぬものは犠牲にして……」