ゴーリキー『どん底』

ペーペル あいつらあ――お前よりゃ利口だろうぜ……飲んだくれじゃあるけんどな……
ブブノーフ 飲んだくれで利口ときちゃ、鬼に金棒じゃないか……
ペーペル サーチンに言わせると――人間てやつは、自分の隣人が良心を持つことを願っている、つまり、だれにも、良心なんか持つな得でねえっていうわけだとよ……こいつあほんとのこったぜ……

ルカ 人間てもな昔からそれさ!どんなにすましこんでみたところで、どんなにのろのろ歩いてみたところで、やっぱり人間として生まれて、人間として死んでいくんだ……こうしてわしが見ているのに、人間はだんだん利口になり、面白くなってくる……が、生活がわるくなるにれて、ますますいい生活に憧れるようになってくる……厄介なものだよ!
男爵 おい、爺さん、お前はいったい何者だね?……どこからやって来たんだね?
ルカ わしかね?
男爵 巡礼かね?
ルカ 地球の上にいるかぎり、わしらはみんな巡礼さ……わしは聞いたんだが、わしらのこ地球さえ、空をまわって歩く巡礼だというじゃないか。

役者 なんにも覚えちゃいねえ……一言も……覚えちゃいねえ!大好きな詩だったのになあ……こいつぁいけねえや、なあ爺さん?
ルカ そうよな、大好きなものを忘れるようじゃ、もうおしまいだね。人の魂というものは、好きなものの中にあるんだから。
役者 その魂までおら飲んでしまったんだよ、なあ、じいさん……おらもうだめだよ……だが、なんでだめになったんだろう?おれにゃ信念てものがなかったからだ……おれはもうおしめえだ……

ブブノーフ だが、いってえ人間てやつは……どうしてこう嘘をつくことが好きなんだろうな。いつもまるで予審判事の前にでも立ってるみてえにさ……まったくよ!
ナターシャ そりゃなにさ、嘘の方が……真実より面白いからさ……あたしだって……
男爵 なにが「あたしだって」だ?そのさきはどうなんだ?
ナターシャ いろんなことを考えだすわ……考えだしては、待ってるわ……
男爵 何をよ?
ナターシャ (困ったように笑いながら)なにったって……そうねえ、まあなにさ、こんなことを考えるのさ、あすは……だれか……だれか……特別な人がきっとくる……でなければ、なにかある……なにか、今までになかったようなことが……もうずいぶん長い間あたし待ってるのよ……いつもいつも待ってるのよ……だけど何を……ほんとうには――なんにも待つようなことはないかも知れないのさ。
(間)
男爵 (にやっと笑って)何を待つことがあるものか……おら――なんにも待っちゃいねえよ!みんなもう……あったことだ!すぎたことだ……すんだことだ!……それから、どうなんだ!
ナターシャ でなければね……あたし、あすあたり急に、ひょっこり死ぬんんじゃないかと考えるのよ……すると、そのためになんだか気味がわるくなるの……夏は死ぬことを考えるのにいい時なのね……夏は雷がよくあるでしょう……いつ雷に打たれて死ぬか知れないものね……

クレーシチ (とつぜん、やけどでもしたように、またしてもおどり上がって、叫ぶ)真実とはなんだ?どこにあるんだ?(両手で身につけたぼろをひきむしる)そら――これが真実だ!仕事がねえ……力がねえ!これが真実だ!身の置き場……身の置き場がねえ!のだれ死にでもするほかねえ……これがその真実だ!悪魔め!そんなものがおれにとってなんになる――そ、そんな真実がよ!それより、すこし息をつかせてくれ……休ませてくれ!いったい、おれになんの罪があるんだ?……なんのためにおれにこんな真実がいるんだ?おれは生きていられねえんだよ……これがその真実だ!……

サーチン おれがいいことを教えてやるよ――なんにもするな!ただ――地球のお荷物になっていろ!……

サーチン 爺さんは嘘をついた……だがそりゃ、お前たちを憐れに思う思いやりから出た嘘だぞ、畜生め!近いものに対する思いやりから嘘をつぅ人間はいくらもあらあ……おら知ってるよ!本で読んだよ!そういう人はみな、実にきれいに、精神をこめて、人の気を引き立てるように嘘をつくんだ!……世の中にゃ、人の心を慰める嘘もありゃ、やわらげる嘘もあり……労働者の手を圧しつぶすようなひどい仕事を弁護する嘘もありゃ……飢え死にしかけてるやつを責め立てる嘘もある……おれは嘘のこたよく知ってるよ!気の弱ぇ者や……人の汁を吸って生きてるやつにゃ、嘘は必要物だ……あるやつらは嘘でもってるし、あるやつらは嘘に包まれている……だが――しっかりした人間……人を頼りにしない、他人のものをあてにしない人間には、嘘をつく必要は少しもねえ。嘘は――奴隷と君主の宗教だ……真実は――自由な人間の神様だ!