夏目漱石『それから』

ぼんやりして、しばらく、赤ん坊の頭ほどもある大きな花の色を見つめていた彼は、急に思い出したように、寝ながら胸の上に手を当てて、また心臓の鼓動を検し始めた。寝ながら胸の脈を聞いてみるのは彼の近来の癖になっている。動悸は相変わらず落ち付いて確かに打っていた。彼は胸に手を当てたまま、この鼓動のもとに、温かい紅の血潮のゆるく流れるさまを想像してみた。これが命えあると考えた。自分は今流れる命を手のひらでおさえているんだと考えた。それから、この手のひらにこたえる、時計の針に似た響きは、自分を死にいざなう警鐘のようなものであると考えた。この警鐘を聞くことなしに生きていられたなら、――血を盛る袋が、時を盛る袋の用を兼ねなかったなら、いかに自分は気楽だろう。いかに自分は絶対に生を味わいうるだろう。けれども――代助は覚えずぞっとした。彼は血潮によって打たるる懸念のない、静かな心臓を想像するに堪えぬほどに、生きたがる男である。彼は時々寝ながら、左の乳の下に手を置いて、もし、ここを金づちで一つどやされたらと思う事がある。彼は健全に生きていながら、この生きているという大丈夫な事実を、ほとんど奇蹟のごとき僥倖とのみ自覚しだす事さえある。

代助は人類の一人として、互いを腹の中で侮辱する事なしには、互いに接触をあえてし得ぬ、現代の社会を、二十世紀の堕落と呼んでいた。そうして、こrを、近来急に膨張した生活欲の高圧力が道義欲の崩壊を促したものと解釈していた。またこれをこれら新旧両欲の衝突と見なしていた。最後に、この生活欲の目ざましい発展を、欧州から押し寄せた海嘯と心得ていた。
この二つの因数は、どこかで平衡を得なければならない。けれども、貧弱な日本が、欧州の最強国と、財力において肩を並べる日の来るまでは、この平衡は日本において得られないものと代助は信じていた。そうして、かかる日は、到底日本の上を照らさないものとあきらめていた。だからこの窮地に陥った日本紳士の多数は、日ごとに法律に触れない程度において、もしうくはただ頭の中において、罪悪を犯さなければならない。そうして、相手が今いかなる罪悪を犯しつつあるかを、互いに黙知しつつ、談笑しなければならない。代助は人類の一人として、かかる侮辱を加うるにも、また加えられるにも堪えなかった。

その上彼は、現代の日本に特有なる一種の不安に襲われだした。その不安は人と人との間に信仰がない原因から起こる野蛮程度の現象であった。彼はこの心的現象のためにはなはだしき動揺を感じた。彼は神に信仰を置く事を喜ばぬ人であった。また頭脳の人として、神に信仰を置く事のできぬ性質であった。けれども、相互に信仰を有するものは、神に依頼するの必要がないと信じていた。相互が疑い合うときの苦しみを解脱するために、神は始めて存在の権利を有するものと解釈していた。だから、神のある国では、人がうそをつくものときめた。しかし今の日本は、神にも人にも信仰のない国がらであるという事を発見した。そうして、彼はこれを一に日本の経済事情に帰着せしめた。

それから三千代の来るまで、代助はどんなふうに時を過ごしたか、ほとんど知らなかった。表に女の声がした時、彼は胸に一鼓動を感じた。彼は論理において最も強い代わりに、心臓の作用において最も弱い男であった。彼が近来おこれなくなったのは、全く頭のおかげで、腹を立てるほど自分をばかにすることを、理知が許さなくなったからである。がその他の点においては、尋常以上に情緒の支配を受けるべく余儀なくされていた。

代助は酒の力を借りて、おのれを語らなければならないような自分を恥じた。彼は打ち明けるときは、必ず平生の自分でなければならないものとかねて覚悟をしていた。けれども、改まって三千代に対してみると、始めて、一滴の酒精が恋しくなった。ひそかに次の間へ立って、いつものウィスキーをコップで傾けようかと思ったが、ついにその決心に堪えなかった。彼は晴天白日のもとに、尋常の態度で、相手に公言しうる事でなければ自己の誠でないと信じたからである。酔いという障壁を築いて、その掩護に乗じて、自己を大胆にするのは、卑怯で、残酷で、相手に汚辱を与えるような気がしてならなかったからである。彼は社会の習慣に対しては、徳義的な態度を取る事ができなくなった、そのかわり三千代に対しては一点も不徳義な動機をやくわえぬつもりであった。否、彼をして卑吝に陥らしむる余地がまるでないほどに、代助は三千代を愛した。