レオナルド・ダ・ヴィンチ―天才の実像@東京国立博物館

asaibomb2007-03-30

「受胎告知」日本初公開ということで、展示会場の本館特別5室ってのは狭い所なのか?と思ってたら、部屋の奥に飾られたこの一枚まで蛇のしっぽ状に並ぶという、まさに宗教画を礼拝する趣。「モナ・リザ」とか「民衆を導く自由の女神」なんかも呼んだ場所なのね。あまりに有名すぎる絵なせいか遠目だと正直写真を見てるようで現実感なかったのだが、やっぱ実物を目の前にすると立ちすくむ迫力だった。多くの言葉は出ない。
で、今回は絵画の展示はこの一枚のみで、他は平成館て方で手稿等々を基にダ・ヴィンチ自体に迫る企画ということで解説かなり興味深く読めた。言うまでも無く多方面に亘る天才っぷりが伺えるんだけど、それでも人力飛行機の模型の所に「構造の理論的な部分は完璧だが実際には飛行できない」とか書いてあってなんていうかものすごくユーモアがあるというか人間味溢れてるなあと思った。バベルの塔とかイカロスの翼とかボンヤリ浮かんだ。
それから今回はせっかくだから常設展もじっくり周ってみた。法隆寺宝物館にあった室町時代の寺要日記ていう書物に「南無...」ていう記述あってすげー気になったんだけど、これは読点?三点リーダ?大昔の和文にそんなものが?と疑問に感じたのだが、句読点について詳しいサイトによると()最古の文章では少なくとも「夢中問答集」(1342)内に句読点らしき記述が見られるとのこと。ふえー。面白いもんだなあ。ちょっとズレるけど「!」(感嘆符)「?」(疑問符)無しに感嘆・疑問を表現する構文なんかに日本語独特の美しさを感じる(「なぜ〜なのか」と書けば「?」無しでも疑問文と伝わる、とか)一方で、英語では文末に「?」さえ付ければ(そして語尾を上げて発音すれば)疑問を表現できるといった仕組みにも合理主義的な機能美を感じる。そしてそれぞれが混ざり合って新たな表現が生まれるというのは感動的ですらある。顔文字とかAAとかも含めて。
あとアジア館もものすげえ盛り沢山だった。イロイロ眺めながらソレが生まれた背景なんかが頭の中にモヤモヤ浮かんでくるのが楽しい。皇帝に捧げるものには敬意が表され逆に命令を伝える文書には威厳が示されているといった「意味」以上に、生活の必要から生まれた鉢とか壷に模様が加えられていったり、ただ飾るだけの像が作られるのは何より「神」への想いの具現化が多いだろうけど、ただ、ただ美しい物を残したい、自分の目・そして心に映ったモノをカタチにしたい、といった欲求が人間の根本にあるという点、「文化」というものが生活に余裕があってこそ出来る部分であるだけでなく、日々の暮らしで手一杯な中からそれでもこぼれる衝動。溢れちゃう...BE IN LOVE。無駄なものに楽しさを覚える感覚。感動を禁じ得ない。
つーわけで今日の一枚はネットで見かけた写真の模写。
http://aria-no-o.ribbon.to/~takagi/text/20070304.html
写真もいいけどイラストがすげえいいなあと思ったらコミティアなんかにも出てる方なのか。なんとなくカロリさん()にも近いものを感じた。
4月入る前で間に合わなかったけどぐるっとパス)も有効活用して国立科学博物館でやってる「花 FLOWER〜太古の花から青いバラまで〜」()ていうのも見たいな。トップページの「人はどうして、花をきれいだと思うんだろう。」ていうフラッシュだけで泣きそうになる。そーいや上野公園ちょうど花見客でゴッタガエシてたなあ。