三島由紀夫『奔馬』

本多は理の勝ったその性格のために、却って正義をして正義たらしめるあの狂信を欠いていたのである。

ひどく寒かった。勲は更衣室へ連れて行かれて、一糸もまとはぬ裸にされた。あけた口の奥歯までしらべられ、鼻の穴、耳の穴を綿密にのぞかれ、両手をひろげて前を検められたのち、四つ這いになって後を検められた。肉体をこんな風に端的に扱われると、却って、自分の肉体は他人であって、自分のものは結局思想しかないと思うようになる。そう思うことがすでに屈辱からの逃避だった。

治安警察法は第十四条に、ごくそっけなく、「秘密ノ結社ハ之ヲ禁ズ」と規定していた。勲たちの、熱血によってしかと結ばれ、その熱血の迸りによって天へ還ろうとする太陽の結社は、もともと禁じられていた。しかし私腹を肥やすための政治結社や、利のためにする営利法人なら、いくら作ってもよいのだった。権力はどんな腐敗よりも純粋を怖れる性質があった。野蛮人が病気よりも医薬を怖れるように。

供述書のなかでも、勲は「決して憎くて殺すのではない」と言っていた。それは純粋な観念の犯罪だった。しかし勲が憎しみを知らなかったということは、とりもなおさず、彼が誰をも愛したことがないということを意味していた。