コミックマーケット88一日目

asaibomb2015-08-14

駅までは原付で。余裕をもって30分。
宇都宮5:38→5:54自治医大6:03→7:40池袋7:44→8:18国際展示場。前はサークル入場開始7:30丁度に間に合うくらいで行ってたけど最近は準備もそんなにかからないし少しゆっくりめ。知り合いに会ってチケット渡し、速やかに入場。そーいや自治医大駅指定席券売機は6:40〜稼働(無人)でそれ以前の時間に休日お出かけパスの別日分なんかを買う為には隣の小金井に行く必要があるっぽいので注意(自分メモ)。今回は初日のみだったからいいんだけど。
コミケに提出する新刊がコピー本のみというのは何気に初かも。以前に比べたら明らかにペースは落ち着いてるけど、それでもやっぱり「本」作るの好きなんだなあというのは再認識できた。来て見て買って下さる方も予想以上にいて、珍しく早い時間に用意していた分が無くなるという事態になってしまい、持ち込み数調整の難しさを痛感する。うーーん…直近のシティとかでさっぱりだったからどんどん弱気になってたんだけどもうちょっとあってよかったかー…ほんと難しい…。何年やっても…。といえば、今回コピー製本の段階になって面付ミスに気付いて焦った。しかも一枚絵ならともかく漫画で…。慌ててペーパーこしらえて事なきを得た(か?)。あとセブンのコピー機が更に進化しててビビッタ。冊子印刷機能とか試してないままなので余裕ある時期にやっておきたい。描画ソフトとかもそうだけど慣れたやり方で留まって新しいことやろうとしないのは悪い癖だからな。
そうそう友達に会ったらtwitterで告知したりしなさいなわかりにくいから!と言われたのでしていきたい。というかそのぶんブログで告知してんのかっつったらこっちはこっちで放置状態だし、その辺も不親切だったなと改めて反省。
今回お隣が志村作品きっかけで旧知のまるはさん(はわわ団)だったので一日を通じてお話できたり楽しかった。アイドル握手本の他にバンドマン(?)握手本出してて面白かって、究極的には猪木ビンタ本とか政治家握手本とか面白いんでは?とか話してて楽しかった。コミケ作家握手本とか。フリーハグみたいな感じで街中で握手しまくってみるとか。ちょっと社会実験みたいな(?)。捕まるか?
数少なく同じジャンルで活動してる方とも会ってお話できて、ちょっとずつでもひろがっていけたらいーなーと思った。これ似てるなーとかこの表現いいなーとかこういう捉え方あったかー!とかそういうのって自分一人でやってたら得られない感覚だし。もちろんwebでやってる方も含めだけど。
環境としては一日ほぼ曇りがちでそれでもまあさすがに蒸し暑くはあったけど、無事に乗り切れてよかった。一昨年の不整脈に続いて今年は健康診断の採血中に貧血でぶっ倒れるという経験をしたのでもう完全に自己認識以上に体は弱ってるなと覚悟して、だいぶ安全策をとっていたのが功を奏した。飲み物は凍らしペットボトル一本(塩&ハチミツ入り)とヴィダーインゼリー、食べ物はチョコとビスケみたいのとカロリーメイト、あと頂き物のお菓子もその場で食べてしまった。すげー喰うな!(敷居の住人の兼田嫁並)。
15時過ぎには撤収。電車で帰る間は豪雨もあって心配になったが、地元に着く頃には止んでよかった。おごうさん(男乃武器屋)の総監督アンソロジーとかコミケット40周年本とか読みである本が入手できたのでじっくり読もう。そして次もまたがんばろう。がんばろう!

ヘルマン・ヘッセ『地獄は克服できる』

『無為の技』

ほとんど間断なく、むらなく創作の仕事を続けることができる芸術家などは、まったくまれな例外にすぎない。このようなしだいで、芸術家は何も仕事をしていないように見える創作のできない状態におちいると、芸術に無縁な人はそれを見て軽蔑したり、同情したりするのである。新しいものを創造するための一時間のためには、その一時間の何千倍もの莫大な仕事が必要であることを、芸術に無縁な一般の人は理解できない。同様に一般の人は、芸術家がただ描きつづければよいだけなのに、絵筆で平行線を何本か引けばよいだけなのに、なぜそうしないで気が狂ったようになってしまうのか、そんなに興奮しないで絵を完成させればよいだけなのに、なぜそうしないで、たびたび仕事に行きづまってゴロリと横になり、くよくよ思い悩んで、何日も何週間ものあいだ仕事を放り出しておかなくてはならないのかわからないのである。

『精神の富』

私たちは生きることを通じて、子供から一人前の大人にならなくてはならない。人間は誰でも、従属することのできる能力と、自己を犠牲にする能力をもたなくてはならないことを学ぶ。つまり私たちは、社会の秩序を承認し、それを維持し、それを護るために自分の刹那的な快楽と欲望を犠牲にしなくてはならないことを学ぶのである。私たちがこの秩序を承認し、強制されてではなく、自由意志でこの秩序に従うならば、私たちは精神的に一人前に大人となり、教養ある人間となる。それゆえ、このようなことを決して学ばない犯罪者を、私たちは、精神が薄弱で、劣等な人間と判定するのである。

断章

ユーモア作家というものは、何を書こうが、その表題やテーマはすべて口実にすぎないのであって、実際には彼らはみな、そしてつねに、ただひとつのテーマをもっているにすぎない。それは、すなわち、人間生活の奇妙な悲哀と、こういう表現を許していただきたいが、人間生活が糞まみれであること、それにもかかわらずこのみじめな人生が、こんなに美しくすばらしいものでありうるのだということに対する驚嘆である。