ジャン・コクトー『怖るべき子供たち』

こんな愛情は、まだ愛情について考えてみたこともない子供にとって、ただ途方にくれるよりほかしかたのないものであった。それは救いようのない、漠然とした、けれども激しい不幸であり、性も目的もない清浄な欲望であった。

美の特権はすばらしいものである。美は美を認めないものにさえも働きかけるのだ。

子供たちの不思議な世界では、浮き身をすることもあれば、すばやく進むこともできる。それはちょうど阿片の場合に似たもので、緩慢な速度は、最高の速力と同じように危険なものであった。

屏風には俳優部屋のように、モンマルトルの家の雑誌が引きちぎって貼られてある。それは夜の明け方、接吻のような大きな音をたてて蓮の花が開くあの支那の沼のように、殺人犯人や女優の顔などを一度に咲かせているのだった。

――別にどうするってわけじゃないんだ。ただほしいんだよ。ただ毒薬がほしいってことのためにほしがってたんだよ。すてきじゃないか!僕は毒蛇だの、曼荼羅華だのを手に入れたいと思ったり、ちょうど僕がピストルを持っているように、毒薬が手に入れたかったんだ。そこだよ。ただそこんとこの気持ちだけで考えるんだね。それが毒薬さ、すてきじゃないか!

事実が具備する舞台装置は、われわれの想像するものとは全然似ても似つかないものだ。その単純さ、その偉大さ、その奇異さ詳細さなどはわれわれを当惑させる。若い婦人たちも最初、すっかり狼狽してしまった。認められないことを認め、受け容れられないことを受け容れなければならないのだ。まるで知らないポールを識別しなければならないのだ。